2016-03-30

本を読むよりも YouTube を視聴するほうがたくさんの情報を得ることが多い。映像の持つ情報量はたくさんの量である。さらに、YouTube には視聴者のコメントが付いている。これらを読むとまた新しい情報を得ることも多い。

芸者歌手という範疇が戦前にはあったようだ。芸者がファッションや流行の中心で、そこから新しいものが広まっていく。芸者がいまでいう芸能界の中心であったのだ。しかし逆説も成り立つ世界でもあった。

花街という最も華やかな世界であると同時に、苦界であり最も悲惨な世界であった。両極端が結びつく世界であったのだ。

この世界ほど両極端の形容詞が結びつく世界はない。華やかさと悲惨さ、豊かさと貧困さ、厳しい仲間内の掟と開放的な放縦さ、この世界は、一般の人にとって、極度に憧れて入ってみたい世界であるが、同時に極度の汚穢の世界であり、入るには非常な恐怖や嫌悪感を覚える世界とでも称したらいいのか。矛盾する二つの形容詞が融合する世界であったのだ。

市丸の『ちゃっきり節』を聴く。とても69歳とは思えない気品と艶ぽっさがある。これは芸子として長い間鍛えた練習のたまものであろう。そして、その訓練はかなりの年になってからも残っているのである。その世界を生き抜いた人の強さがある。

(ここにYouTubeを貼り付けたが、残念ながらリンク切れになってしまったので外す。)

YouTubeでかなりの古い歌が鑑賞できるのであるが、それはやはり限界がある。せいぜい、大正時代ぐらいまでしかさかのぼることができない。その時代ならばSPレコードが残っているのである。しかしそれ以前の時代、たとえば江戸時代では唄は実際どのように唄われたか知ってみたい。

もちろん、現代の人の演奏である程度は再現できるのだが、やはり物足りない。実際の当時の流行の端唄や小唄を一番人気の芸子さんの歌と三味線で聴いてみたいと思うのだ。それはやはり今の世界と同じで、流行があって、競争があって、作り手は苦しみながら、新しい唄を生み出したのだと思う。

むかし、山本周五郎の『虚空遍歴』という小説を読んで感動したことがあった。主人公は端唄の名人であるが、それに飽き足らずより芸術としての完成度の高い浄瑠璃を作ろうと試みる。そこに「おけい」という女性が絡んできて、その点も面白い。

私がとりわけ驚いたのは、端唄などはすべて同じかと思っていたら、より素晴らしい端唄を生み出そうと唄い手たちが新しい端唄を作り出しているという事実だ。江戸時代でも今の時代と同じで次から次と新しい曲が生み出されていた事実だ。

今日も何かまとまりのないことを書いてしまったが、日々の所感を語らせてもらえればと思う。