2016-07-09

16世紀の後半に日本は3人の武将が活躍した。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康である。それぞれが戦国の群像として華々しく活躍して、日本を天下統一へと進めたのである。

織田信長は「天下布武」を自分の印章として天下制覇の心意気を世に示す。豊臣秀吉は尾張の下層民の家に生まれたがその才能からめきめき出世してついには天下統一をなし遂げた。

なお、私の小学校の時の先生は豊臣秀吉の手相は運命線が中指の先の先まで伸びていて非常に特徴的な手相であったと教えてくれた。伝説なのだろうが、小学生はそんな話をいつまでも覚えているのである。ネットでそのことを調べると、確かにそのような伝説があるようだ。指の第一関節まで運命線があったようだ。なお、私の運命線は弱々しくて第三関節までにも達していない。

手相で幸せ探しhttp://tesouweb.com/category4/entry95.html
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最終的な勝利者となったのは、徳川家康である。天下統一をなし遂げて、そして子孫にそれを受け継がせて、江戸幕府を築き上げることが出来たのである。江戸時代の狂歌に「織田がつき羽柴がこねし天下餅座りしままに食うわ徳川」とあるが、まさしくその通りである。

この狂歌の意味の通り、織田信長が基礎を築き、それを発展させたのが羽柴(豊臣)秀吉であり、その成果を受け継いで代々将軍職となり天下を支配したのが、つまり一番いいとこ取りをしたのが徳川家康なのだ。

自分としては、この3人の中では、織田信長が一番好きだ。信長が本能寺で明智光秀に夜襲をかけられて、信長が「もはやこれまで」と覚悟した時に、幸若舞(こうわかまい)(=曲舞くせまい)の「敦盛」を舞うて、そして火を放って自刃したのである。

敦盛の一節は、「人間五十年  下天の内をくらぶれば  夢まぼろしの如くなり ひとたび生をうけ 滅せぬ者のあるべきか」である。これが信長の辞世の句になる。

夜襲をかけられて慌てふためいている時に、舞をする余裕はないだろうと思う。でも、自分が小学生の時に見たドラマでは、確か信長は舞をしてから自刃したように記憶している。とにかく、敦盛の一節は小学生の自分にも心に残った。