2016-07-10

斎藤道三の生涯を見てみるとまさしく下克上という言葉がふさわしい。以下、Wikipedia などにより記述する。

斎藤道三は11歳で京の妙覚寺で得度をうけて僧侶となり、法蓮房と名乗った。だがその後還俗して松波庄五郎と名乗った。油屋だった奈良屋又兵衛の娘と結婚して、山崎屋という称号で油売り商人となった。かれの油売りの行商は成功して財をなしていく。一説によれば、一文銭の穴を通して油を注ぎ、一滴でも溢れたら代金は取らないという手法で売り歩いていた。これが美濃で評判となったそうだ。

油を買った土岐家の矢野という武士から「この力を武芸に注げば立派な武士になれるだろう」と言われ、一念発起して商売をやめ、槍と鉄砲の稽古をして武芸の達人になったという。 その後、武士になりたいと思った庄五郎は美濃常在寺の日運を頼み、日運の縁故を頼った庄五郎は、美濃守護土岐氏小守護代の長井長弘の家臣となることに成功した。

その後は陰謀策略で次から次と相手を倒しながら地位を高めていき美濃の領主へと上り詰める。国盗り物語である。

戦国時代は日本の歴史の中でも面白い時代だったと思う。室町幕府の支配力が弱まり、本当に実力のあるものだけが伸びていくことができた時代だ。家柄や地縁に頼っていた、公家・守護・管領などは新興の戦国大名にその地位を譲ってく。

現代の政治が面白くないのは結局は下克上がほとんどない点である。主たる政治家のほとんどが二世・三世の議員である。親の遺した地縁・血縁に守られて、ほとんど何もしなくても票が入って当選していく。当選回数によって自動的に政務次官や大臣になっていく。

会社でも親のコネが幅をきかす時代である。親の仕事を受け継いで代々そつなくこなすタイプが多くなる。

真に実力のある人はなかなか浮かび上がることはできない。そんな時、眠っていた真に実力がある人が目覚めるときがある。それは戦国時代である。政治ならば、大混乱の時、救国の英雄が現れるのである。会社でも、大不況の時、倒産の危機に面したときに、真に才能のあるビジネスマンが現れて、会社を救うことがある。政界の下克上、ビジネス界の下克上が顕著になるのだ。

芸能界もだんだんと二世・三世が増えてきた。でも、それでも政界や財界と比べると個人の才覚に頼る部分が大きい。基本的には下克上の世界である。才能がなくても一曲ぐらいは注目を浴びることができる。だが、その後も人気を維持していくのは大変だろう。基本的にはストレスのかかることだ。どうように戦国大名たちの一生はストレスの連続であったろう。

さて、自分自身の生き方だが、下克上などは望まない。静かに目立たないように生きたいのだ。まあ、男としては甲斐性なしであるが。

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