2016-09-19

自分はもうじき66歳になる。昨年の今頃に65歳になって、ついに自分は高齢者の仲間入りしたかと感慨無量にふけったものだった。それから1年があっという間に過ぎ去って、齢を一つ重ねることになった。

自分の父親は76歳でなくなっているので、自分もあと10年ほどの命かなと思っている。1年間は365日であるから、あと3,600日ほどで寿命は尽きるのかと思っている。

そう考えると一日一日が貴重なものに思えてくる。一日が貴重な宝石のようなものだ。毎日その宝石をしっかりと触れて見て味わうようにしたい。

このところ、貯金と年金をみて将来の出費の計算をしている。自分と家内が介護施設に入るときはどうするのか。どれ位の貯金があるのか。年金で毎月の出費をカバーできるのか心配である。ある程度は体が動けるうちは何とか自立していきたいが、まったく寝たきりになったら、誰かに頼るしかない。自分の息子たちに介護をお願いすることは難しいと思う。息子たちもすでに退職して時間があるのならば同居して面倒を見てもらうのも可能だろうが、息子たちはまだ20代なので、働き盛りだろうから、無理だと思う。

自分の最期は療養型の病院に看取ってもらう予定だが、政府は療養型の病院は減らす(あるいは廃止する)予定と聞く。母の最期は療養型の病院に面倒を見てもらい、胃瘻で1年以上も生きることができた。ずいぶんと丁寧に介護をしてもらったので、こんな最期ならありかなとも自分は思っていた。

厚労省の療養病床の在り方検討会が初会合があり、療養病床の廃止を決めたと聞く(あるいは一部廃止か、しかし入院は難しくなるのは確かなようだ)。以下のようなニュースがある。出典: https://kaigo.suumo.jp/article/detail/2016/02/03/5502/

厚生労働省は2016年1月15日、高齢者が長期入院する療養病床の一部廃止に伴い、新たな施設創設の方針を決めました。住居と医療の機能を併せ持つ「一体型」と、住居の近くに医療機関がある「併設型」の2種類を用意し、療養病床を持つ医療機関からの移行を想定しています。厚生労働大臣の諮問機関である社会保障審議会の部会で議論し、次の通常国会で法改正を行う予定です。

自分がお世話になるだろう時期には、療養病床も減って、そこに入院するのはかなり厳しくなりそうだ。自分は母方の祖父、曾祖父が亡くなるときに、自宅で介護を受けていたが、家族からひどく嫌がられていたのを覚えている。幼心にも、死ぬ前の数年間を家族に介護してもらうと、家族関係まで壊れてしまう、病院でやっかいになりながら、時々家族に見舞いに来てもらう形がベストだ、としみじみ感じたのである。

自分の介護施設の分、それから家内の分、合計でいくらになるのか。稼がなければならない。突然死などで運良く逝けばいいのだが、長患いをして家族に迷惑をかけることもある。でもある程度、金を持っていれば、子供たちも面倒見てくれるのではと考えたりする。とにかく、金だ。

浄土で待っていてくれるお釈迦様
浄土で待っていてくれるお釈迦様