舟木一夫の『君たちがいて僕がいた』は自分の好きな曲である。青春時代の喜びを高らかに歌ったものだ。

自分はなぜこの曲が好きなのか。それは自分の高校時代がこの曲が歌い上げた状況とは、まったく無縁であったことと関係する。本来のあるべき青春時代を自分は経験することができなかった。それゆえにこの曲が作り出す世界に憧れるのである。

恋愛、友情、友との語らい、人への信頼、などを残念ながら味わうことができなかった。不器用な自分はよく人の嘲りの対象になった。ちょっと心を開いて友人と思っている人に話したことが、面白おかしく尾ひれがついてクラスメートの中に広まって笑われたことがあった。恋愛に関しては、男子校なので、女っ気は全然なかった。社交下手な自分は裏切られたり、逆に裏切ったりもした。

つまらない高校時代だった。でも、もしかしたら本当は楽しい青春時代を送れる可能性はあったのではないか。それがあったとしたら、舟木一夫の『君たちがいて僕がいた』に描かれたような世界ではないかと思うのだ。

冒頭の歌詞は当時は心を響かせる力があった。

清らかな青春 爽やかな青春
大きな夢があり
かぎりない喜びがあった

今の若い人は冷めているので、こんな歌詞ではアピールしないだろう。でも、こんな青春が送れればと願った世代もあったのだ。自分はこんな青春を経験したかった。

心の悩みを 打ち明け合って
眺めた遥かな 山や海

というような歌詞を聞くと、そんな青春を送った人もいるだろう思い、とても羨ましくなる。自分が本当は経験したかった友情や恋愛が描かれている。

そんな世界は、本当はあり得ないであろう虚構の世界かもしれない。でも、つまらないと思いつつ通った高校であったがゆえに、卒業して大学に行ったら楽しいこと、ワクワクすることと出会えるのではないかと思った。高校時代よりは大学時代が面白かったが、それは生きるコツをちょっと掴んだからであろう。

さて、舟木一夫のこの歌を聴くたびに、あの頃の自分が高校時代にこんな風に生きることができればなと残念に思う。人間不信、失望、裏切り、イライラの高校時代が実態であったがゆえに、その反対の行き方をしたかったと強く願ったのだ。