自分の日常の一つのパターンは焼酎を飲む。黒霧島であることが多い。そして、YouTube で音楽を聴きながら眠っていく。自分がよく聴く音楽だが、いろいろと変わる。演歌とか1970年代の懐メロの場合もあれば、戦前の歌謡曲もある。昨日はロシア民謡を懐かしく聴いていた。

私が大学生ぐらいまで、歌声喫茶というものがあった。そこではロシア民謡が歌われていた。まだ共産主義やソビエトロシアに対する憧れがあってロシア民謡もその流れで人々に好まれていた。

『カチューシャ』『ともしび』『トロイカ』などは大流行で、ラジオなどでもよく流れていた。学生なども一緒に歌い合っていた。

リンゴの花ほころび
川面に霞みたち
君なき里にも
春はしのぶよりぬ

これはカチューシャの冒頭であり、歌詞はとても懐かしい。始めて聞いたのは、自分が中学生のころだ。遠くに住む恋人を思う歌なのだろうと推測した。

最近はYouTube やネットの解説を見ることができるようになり、『カチューシャ』が単に恋人をしのぶ歌とは言えなくて、第二次世界大戦の時のソビエトの戦時歌謡曲であったことを知るようになった。ナチスドイツとの死闘の際に赤軍の兵士を鼓舞した曲だったのだ。この曲と戦争は深く結びついているのだ。

赤軍合唱団という合唱団があって、軍服を着て歌う。女性の歌手までも軍服を着て歌うので、初めは自分はその理由が分からなかったのだが、ネットなどでこれらの曲と戦争との関係を教えてもらって納得がいったのである。

YouTubeにはたくさんの『カチューシャ』の動画がアップされているが、上記の動画は私が一番好きな動画である。9年前にアップロードされた動画であるので、画像はやや粗いが、それでもずいぶんと楽しめる。

この動画では、ロシアの人々は手足が長いので、舞台の上で踊ってもさまになる。さらには、ロシア語の美しさが冴え渡る気がする。自分が若い頃にこんな動画と出会っていれば、ロシア語の勉強をしたかもしれない。

話が変わるが、『黒い瞳』『黒い瞳の』という二つの曲も大好きだ。タイトルがまぎらわしいのでどちらがどちらであるか分からなくなる。前者の『黒い瞳』は官能的な、引き込まれたならば身を滅ぼしそうな雰囲気の女性を暗示している。後者の『黒い瞳の』は素朴な田舎の少女が同じ村の若者に恋をしたという内容だ。

でも、両者とも訳詞から自分の受けた印象を書いてある。原詩はまったく異なる内容なのかもしれない。

『黒い瞳』の歌詞、特に第三番は以下のようになっている。

いつまでも 燃えさかり
消え去りぬ 黒い目よ
わが生命(いのち) 絶ゆるごと
くるおしき 黒い目

黒い瞳に魅せられて命が絶えてしまうほどだ、という内容だ。自分の過去を振り返ると狂おしくなるような恋をしたことがない。命が絶えてしまってもかまわないというほどの強い恋はなかった。

結ばれない恋ゆえに、命を絶つ人がいるのだ。そんな恋を経験してみたかったと思うこともある。そんな話を聞くと羨ましく思える。それで身を滅ぼしても、それはそれでよかったのでは、と思えることもあるのではと思う。

芸能界ではよく不倫を『週刊文春』が報じる。すると報じられた男性はあわてふためいて謝罪して、奥さんの元に帰ってゆく。その人の恋は命を絶つほどの激しい恋ではなかったのだな、と推察する。