前川喜平元文部事務次官だが、Wikipedia に彼のページがある。おそらく、今回の事件を切っ掛けにして前川元次官のページができたのだろうと思う。

彼の略歴を見る。東大の法学部を卒業してから、文部省(文科省)に入り、そこで順当な出世コースを歩んで行く。以下はWikipedia よりの引用である。

  • 1979年4月 – 東京大学法学部卒業、文部省入省
  • 1986年9月 – 宮城県教育委員会行政課長
  • 1989年2月 – 在フランス大使館一等書記官
  • 1992年3月 – 文部省官房政策課政策調査官
  • 1993年4月 – 官房政策課政策企画官
  • 1994年6月 – 与謝野馨大臣秘書官事務取扱
  • 1995年10月 – 教育助成局財務課教育財務企画室長
  • 1997年7月 – 文化庁文化部宗務課長
  • 1998年7月 – 高等局主任視学官兼中央省庁等改革推進本部事務局参事官
  • 2000年6月 – 文部省教育助成局教職員課長
  • 2001年1月 – 文部科学省初等中等教育局教職員課長
  • 2001年7月 – 初等中等教育局財務課長
  • 2004年7月 – 初等中等教育局初等中等教育企画課長
  • 2010年7月 – 大臣官房総括審議官
  • 2012年1月 – 官房長
  • 2013年7月 – 初等中等教育局長
  • 2014年7月 – 文部科学審議官
  • 2016年6月 – 文部科学事務次官
  • 2017年1月20日 – 文部科学次官退任

私が気づいた点は、この人は、38年間の在任中に19の仕事に就いている。平均して2年間の在任である。〇〇課長という仕事に就いたとしても2年間だけ在任して、すぐに次の役職に就いてしまう。こんな短い期間で、はたして仕事ができるのか。ようやく仕事を覚えた頃には次の役職に栄転である。

前川元次官の若い頃の写真

文部科学事務次官という最高の地位に上り詰めても2年間だけの在任である。はたしてどんな仕事ができるのか。新しいことには着手しないで、従来の仕事を保守していくだけに気持ちが向くであろう。

(そんな官僚の意思決定制度に風穴をあけようと、内閣府主導の特区という制度ができたのだ)

自分はあるときに、このようなエリートの人と一緒に仕事をする機会があった。頭の回転が速くて、仕事が段取りがスムーズで、さすがは東大の法学部出身の方と感心した。でも、その方はすぐに他の部署に栄転してしまった。せっかく出来上がった仕事の枠組みがゼロからやり直しだ。

今回、前川元事務次官の略歴を見て、そんなことを思い出した。エリートには国の文部行政全般を見てもらう。いろいろな経験をさせながら、大所高所から判断できる人材へと育て上げる。そんな方針のようだ。そんなエリートたちは、一歩一歩、出世階段を上ってゆく。

現場には、ノンキャリアで何十年も同じ職場を守っている人がいる。現場の事務はそのような方に任せて、エリートは中央との連絡役、全体的な視野から指示を出す、そんな役割分担が見えてくる。

エリートとノンキャリアの事務職とが仕事を分担して、この日本の官僚組織を動かして行く。ノンキャリアの事務職の人から見て、若造だと思っても東大法学部出身となると、やはりペコペコして指示に従うという図式だ。