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平尾昌晃が亡くなった。享年79である。私が物心ついたときから有名な歌手であり、その後も芸能界から忘れられることなく、常に作曲家として、あるいは審査員として、指揮者として、第一線で活躍した人であった。

肺がんを患っており、肺炎が直接の死因と聞く。まずはご冥福を祈りたい。

平尾昌晃はいつまでも若々しい人という印象だ。この人の初めての結婚は19歳年下の女子大生であった。しかし、この人は最初の奥さんを捨てて、自分のスクールの教え子と結婚した。その時の新しい奥さんの言葉が印象的だ。「色々なことがあるかもしれないが、何とか添い遂げたい」という言葉を発していた。彼の浮気癖は知っていたのだろう。しかし、自分ならば、その癖を直すことができると思っていたのだろう。

最初の奥さんは平尾昌晃よりも19歳年下であり、彼が不倫した相手は、それよりもさらに若い人、21歳年下の人であった。「自分よりもさらに若い人との浮気は許せない」というような怒りの言葉を発したことは覚えている。

華やかな芸能界にあって、お金があって、イケメンで、才能ある人ならば、女性は次から次と喜んで相手をするのであろう。

2番目の奥さんの「何とか添い遂げたい」という言葉を聞いたとき、自分は無理だろうという印象を持った。

結局はその2番目の奥さんとも別れて、その後は独身だったと聞く。もちろん、女性関係はその後も続いたろうが、独身ならば、スキャンダルにはならない。まあ、彼のようなモテモテの男性は結婚などしない方がいいだろう。結婚しても相手の女性を傷つけるだけだろうから。

しかし、彼の才能の豊かさには驚く。彼は有名な曲をたくさん作曲している。『瀬戸の花嫁』『私の城下町』『よこはま・たそがれ』『霧の摩周湖』『二人の日曜日』など、枚挙に暇がない。

彼は結核を患って肋骨を6本切り取ったいうことはネットで始めて知った。31歳の時か、すると、歌手として生命線である肺が以前のように機能しなるわけだ。それが作曲家への転身であったが、普通の人ならばつぶれてしまうような出来事にくじけることなく、新しい道を見いだしたことは素晴らしいと思う。

彼の逝去で、昭和の思い出がまた一つ消えていった。

coyot / Pixabay
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