実家のゴミを捨てつつある。両親ともいなくなり実家は荒れるままであった。しかし、何とかしなければと思い、まず家の中の片付けから始めた。片付けが済んだら、次は畳を換えたい。家具などはそのままにしておくつもりだ。

次の段階は風呂場と台所、水回りを一新したいと思っている。しかし、家内に言わせると、もうここは廃墟になるだけだから、何もお金をかけない方がいいとの言葉だ。家内は愛着はないだろうが、自分は幼少の頃の思い出があり、何とか実家は維持したい。

長期休暇の時にセカンドハウスとして利用したい。また、自宅では収納しきれなくなった品物をここに保管しておくといいと考えている。とにかく、先立つものはお金なので、貯金をして実家の修繕と水回りの取り替えを行いたい。

さて、現代社会だが、「物を買う」という前提の社会だ。でも、「物を捨てる」ということが難しい。ちょっと町を出歩くと広告がそこら中にある。テレビや新聞でも購買欲をそそる広告でいっぱいだ。

でも、「物を破棄する」「捨てる」ということは忘れ去れられている。使えなくなった物をどのように捨てたらいいのか、そのことへの配慮がない。上手な捨て方の教育も必要なのだ。

母は何か買いたい物があれば、すぐに買うタイプだった。田舎に住んでいたが、通信販売を利用して本当に様々な物を購入していた。

それらの品々が故障しても、関心がなくなったとしても、部屋のどこかに置かれていた。つまり両親は基本的に捨てるということをしなかったのだ。であるから、今、自分は、実家にある壊れた家電品を捨てることに四苦八苦している。冷蔵庫や洗濯機、テレビ、エアコンは専門の引き取り業者にお願いする必要がある。それ以外の小型家電は市のクリーンセンターに持ち込んでいる。

両親は贈答品もたくさん保管していた。田舎は贈答文化がいまだに盛んである。贈りものしていただいたタオルや毛布が沢山あるので、これらは自分たちで使いたい。でも、鍋や置物などは自宅にも沢山あるので困る。この祝いの時の贈り物、そのお返しという制度は本当にこまる。家の中を不要品の倉庫にしてしまう。

いしだあゆみが断捨離を徹底化している話を以前したことがある。二階の一軒家から1LDKのマンションに引っ越しをして持ち物を十分の一に減らしたのだ。なかなかできないことで感心する。

自分も真似をしたい。しかし、この点、家内とは意見が異なる。家内は観葉植物をそこら中に置いておきたがる。そして、絵を購入して壁に飾っておく。また、装飾品を部屋のあちこちに飾っておく。自分は部屋は何もないのが好きだ。むしろ、殺風景な方が好きだ。

家内はショッピングが好きだ。出かけると台所用品ななどをふと買ってくる。新しい皮むき器とか、新型のフライパンとか、そしてすぐに飽きてどこかに放ってある。

家内と喧嘩しても仕方ないので、自分としては黙認という形だが、自宅がいつの間にやら不要品でいっぱいになっていくのは困る。各部屋にそんなガラクタが積んである。

実家も母親がショッピング好きで、父親が困ったことと推察する。母の購入した衣服などが沢山ある。これらをこの数日で、クリーンセンターに持ち込んで、すべて処理したいと考えている。断捨離だが、自分一人ではできない。家族の協力が必要だ。