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自分が小学生の頃に、NHKラジオでよく『尋ね人』という番組をやっていた。自分は小学生であったが、生まれる数年前まで大きな戦争があって、たくさんの日本人が終戦時の混乱で行方不明になったことを知っていたので、切ない気持ちでこの放送を聞いていた。

Wikipedia には、ちゃんと「尋ね人の時間』という項目がある。そこから若干引用する。

聴取者から送られた、第二次世界大戦(太平洋戦争)の混乱の中で連絡不能になった人物の特徴を記した手紙の内容をアナウンサーが朗読し、消息を知る人や、本人からの連絡を番組内で待つ内容であった。

放送期間中に読み上げられた依頼の総数は19,515件であり、その約1/3にあたる6,797件が尋ね人を探し出せたとされる。

依頼人の手紙の内容が端的にまとめられ、番組の題に即した要旨がアナウンサーによって淡々と抑揚なく読み上げられた。

放送の内容は、「昭和20年春、○○部隊に所属の山田さんの消息をご存じの方は、日本放送協会の『尋ね人』の係へご連絡下さい」とか。「シベリア抑留中に○○収容所で一緒だった山田太郎と名乗った方をご存じの方は、日本放送協会の『尋ね人』の係へご連絡下さい」であった。

男性のアナウンサーが淡々とした声で、手紙を読み上げてゆく。それを聞いていると、外地から引き上げてきた人々が、お世話になった人や、離別した人との再会を求める声が切実に響いてくる。小学生の自分であっても、その当時の労苦がどれほどのものであったかは想像がつくのであった。

駅や繁華街には傷痍軍人が座っていて、その前に箱をおいていた。人々は施しとして何がしかのお金をその箱に入れていた。大抵は白い服をきて、楽器で悲しげな軍歌を演奏していた。足や手を失った人がむしろにじっと座っていることもあった。

そんな傷痍軍人の姿も少なくなり、自分が覚えている最後の姿は、自分が大学生の頃、上野公園の階段のところに、足を失った傷痍軍人がいて、ハーモニカを吹いている姿だったか。

戦争がいつの間にやら、日常生活の中から消え失せてゆき、日本はだんだんと豊かになっていった。そう自分が小学生から中学生にかけては、毎日の生活水準が伸びてゆくのが実感できた。

この頃までは、被害者としての日本人しか知らなかったが、日本人は加害者でもあり、遠くの国々で暴れまわったことも知るようになった。

自分は60代の後半にさしかかり、近頃、60年ぐらい前のことが、やたらと思い出される。父母も健在であった、祖父母も元気であった。自分が貧しいという意識は何もなく、毎日の生活は遊びまわることで忙しかった。

時々思うのだが、あの日々に2,3日でいいから戻りたい気もする。父母や祖父母と会って語りたい気もする。いや、もうじき、会える日が近づいているのかもしれないが。

hschmider / Pixabay