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先日、「被害地運動家と男女関係になる」という記事を投稿した。これは東京電力の元副社長の石崎芳行氏と被害地の運動家の番場さち子さんが恋仲になったが、関係がもつれて険悪となり女性側から5000万円を要求した(恐喝した?)という事件である。

私は今日は病院に行った。待合室に『週刊文春』があったので、この記事をゆっくりと読んだ。その所感を述べてみたい。

分別盛りの中年の男女の恋であるが、燃え上がると行くところまでいってしまう。ただ、男女の仲になってからは、女性はこの仲を利用しようとする態度にでる。たびたびお金の無心をしたようだ。また、自分を講師にして講演会の企画をコネがあり政治力のある石崎氏にお願いした。50代の後半の女性で定職がない人は誰かに頼りたくなる、特に権力を持った男性に頼りたくなるのは理解できる。

彼女はかなりお熱をあげたようだ。ただ、そのことが男には次第に重荷になる。とくに、彼女が男の社宅の近くの写真をフィエスブックに投稿して、「自分の好きな人がこの近くに住んでいる」とコメントを付けたことで、男は恐怖を覚えるようになった。

そして、ある時に男は女に連絡することを絶ってしまった。女は戸惑う。そして、「こんなに私を好きにならせたのに」と男をなじる。男はさらに逃げようとする。女の怒りは、愛から憎しみへと移る。そして、できるだけ男を痛めようとする、どのように復讐するかに女の関心は移っていく。女は失う物はない。男は失う物はたくさんありすぎる。

『週刊文春』の記事からは、そんな構造が見えてくる。男はこの半年は、どうしたら死ぬかということばかりを考えていた、と告白している。男も恐ろしかったのだろう。私はふと、『道成寺』の話を思い出した。 この話は、参拝の途中に、一夜の宿を求めた僧・安珍に清姫が懸想し、恋の炎を燃やし、裏切られたと知るや大蛇となって安珍を追い、最後には道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺した、という物語だ。

道成寺縁起

不倫をしても男はどこか醒めたところがある。常に逃げる手立てを考えている。一方、女は男が全てになってしまい、逃げ道がなくなってしまう。今回の事件も、番場さんは、ようやく自分の現在の境遇から一段高いステージに進むことができるようになったと一瞬思ったのだろう。そして、それが幻想だと知ると、それは怒りに変わる。

男が既婚の女性を口説く場合は、いざとなったら安心して手を切ることができると考えるのだ。「既婚の女性ならば、破局になっても、夫や子どものところに戻るので、自分には被害が及ばないだろう」とずるい計算もする。また、プライドが高い女性ならば、安心して口説くこともできる。「プライドが高い女性ならば、自分が振ったとしても、自分を追いかけてこないだろう、修羅場はないだろう」と計算するのだ。

石崎芳行氏は何を考えてつきあい始めたのか。男女の関係まで進むと、もう、男は「どうやって、きれいに別れられるか」に関心が移る。女は「どうやって持続させるか」に関心が移る。

さて、番場さんだが、知性的な感じで、プライドも高そうに見える。こんな女性ならば、「もう別れよう」と男が言ったならば、平然と「分かったわ、いいでしょう」と顔色も変えずに去って行きそうな気がする。が、そうではなかったようだ。このあたりは、石崎氏の計算違いなのだろう。