2015-11-13

先日、しんりさんから私のブログにコメントをいただいた。過分なお褒めの言葉をいただき恐縮する次第である。しんりさんのブログは以下の通りである。「ネットで広がる『新潮』記事(毒)の拡散とその収束」しんりさんのブログは様々な有益な情報に満ちているのでファンの人にとっては、見逃せないブログである。

しんりさんは天地真理を白雪姫にたとえて、今回の事件を毒リンゴを喰らったと形容している。うまい表現だと感心する。

白雪姫(天地真理)がひっそりと暮らしている。そこに継母である魔女(週刊新潮の記者)が突然訪問する。甘言を持って毒リンゴを差し出す(言葉たくみに情報を聞き出そうとする)。白雪姫は毒リンゴを思わず食べてしまう(記者の誘導尋問に引っかかる、そして隠しカメラで?写真まで撮られてしまう)。小人たちは白雪姫の倒れている姿を発見して驚愕する(ファンたちが週刊誌の記事とその拡大に憤慨する)。

次は王子様の登場なのだが、現在はまだ登場していない。でもなぜか近々、白馬に乗った王子様が訪れて、この事件はめでたしめでたしで終わるような予感もする。


 

今日はイオンの中にある本屋さんに行った。そして、『週刊新潮』と『週刊文春』を手にとってバラバラ眺めてみた。また、新たな犠牲者がいる。毎週、何名かの人々が、あることないことを書かれている。人によっては社会的な地位に打撃となり、あるいは社会的に抹殺される人も出てくる。恐ろしいことだ。

たしかに、記者や編集担当者は生きていかねばならない。金を稼がねばならない。売り上げを伸ばさなければならない。面白おかしく記事を作り上げなければならない。因果な商売だと思う。

記者はじっと物陰に潜んでいて、誰かと誰かが愛人関係だという決定証拠を取ろうとしている。結局はそのような記事は売れるから記者たちは行うのである(報奨金も高いのであろう)。需要があるから供給があるのである。結局はそのような記事を一生懸命読みたがる読者の存在が原因なのだ。

私もそのような読者の一部であるのか。でも、できるだけ自分では噂話と事実の部分を分けようとしている。噂話には関心を示さない様にしている。少なくともその努力はしているつもりだ。

年とともに、社会のことに感心が薄れて、自然の変わらない様、近所の庭で毎年咲くアジサイやキンモクセイの開花の季節、近くの川を泳ぐ魚とそれを狙う水鳥たち、などの方に関心が移っていく。社会よりも自然にだんだんと関心が移っていく自分がいる。

photo credit: The Deadly Apple via photopin (license)
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