2015-12-23

先日、美空ひばりの『東京キッド』の歌について所感を語った。そこで「右ののポッケには夢がある。左のポッケにゃチューインガム」という歌詞が大好きであると語った。散歩するときに、ポケットに何を入れるかは大切なことである。

『東京キッド』を聴くと、ランボーの詩「わが放浪」をよく連想する。それは次のような詩である(金子光晴訳詞)。

僕は出かけた。二つの拳(こぶし)は、破れたポケットに突っ込んだまま。
外套(がいとう)もこの上なしのすりきれかた。
大空のしたをゆく僕は、ミューズよ、君の忠僕だった。

ポケットに何かを突っ込んで、大空を歩くのは大好きだ。自分はポケットには何を入れているのか。左の胸ポケットにはいつも iPhone を入れてイヤフォンで何かを聴いている。右のポケットには小銭入れ。左のポケットには何もない。今は寒いので、両手はポケットに突っ込んだままだ。

休日などはちょっとした時間を見つけては、近所を散歩する。そして、ポケットに手を入れて、美空ひばりの歌を口ずさんだり、ランボーの詩を思い出したりしている。自分が今本当に望むことは、「放浪」か。

すべての義務から自由になり、好きなことだけを行いたい。好きなところに、好きな格好をして、好きなだけの時間、うろうろしたい。しかし、現実は、家族を養わなければならない。子供たちの授業料を稼がなければならない。老骨に鞭打って、人にペコペコしながら、愛想笑いを浮かべながら、お金を家に運ばなければならない。

履きつぶした革靴に、色のあせた帽子をかぶり、安い外套を着て、2時間ほど近所への「プティ放浪」が自分の息抜きの時間だ。好きなことを考えていい時間なのだ。

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