2016-02-09

ふと知人のお父さんのことを思い出した。そのお父さんは死の床についたときに、もう余命幾ばくもないと分かったのだが、枕元にテープレコーダーを置いて、島倉千代子の『この世の花』を何回も何回も聴いていたそうだ。

死の床で聴く『この世の花』だが、その人はいったい何を思っていたのか。その人は中国大陸での戦いにかり出されて戦後しばらくはシベリアに抑留されていたそうだ。ようやく日本に帰ってきた時には、婚約者だった女性が病死した後であり、とても悲しんだそうだ。

そのお父さんは別の女性と結婚したので、その結果、知人が生まれたわけである。お父さんの婚約者が生きていれば、知人はこの世に生を受けるチャンスはなかったことになる。

知人のお父さんはペンキ職人であり、タバコもたくさん吸ったので、呼吸器系統の障害でなくなった。次第に呼吸が難しくなり、横になっていることが多くなっていた。そして好きな曲を聴いて一日を過ごすようだった。その中でも、だんだんと『この世の花』を聴くことが多くなっていった。この時に、果たして何を考えていたのか。

これからは私の推測である。知人が述べたことではなくて、私の勝手な推測である。

知人のお父さんは昔の婚約者のことを考えながら『この世の花』を聴いていたのではないか。自分がもうじきこの世を去るとしたら、もしかしたら、次の世界で昔の婚約者に会えるのではと考えたのではないか。

実際に結婚に至らなかった恋愛はすべてが美化されてしまう。実際に一緒に生活して裏の面を見たならば、異なった思いをいだいたのではないか。そんな裏面を見ることなく婚約者とは永別したので、その人のイメージは永遠に美しいままであろう。

知人のお父さんは自分の人生を振り返り、つらい戦争や抑留体験の中で一つの光であった、婚約者のことを思い出して、この曲を聴いていたのではないか。


そんな話を知人にしてみたら、知人はあんまり関心なさそうで、首をかしげて「そうかな?」と言ったきりだった。どうも私の勝手な憶測だったようだ。

photo credit: Tape recorder in blue via photopin (license)
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