父が他界してもう20年以上も経つ。自分の年齢も父が他界した年齢に近づいてきた。遺伝的には父と同じぐらいの丈夫さだと思うが、現代はもう少し医学が進歩しているので、若干、私の寿命も上乗せできるのではと思っている。

父は器用な人であった。尺八が吹けた。父が夕方に奏でたあの古風な音色が何となく懐かしい。漢詩を詠ずるのも好きだった。家の掛け軸には、「月落ち烏啼いて 霜天に満つ」とか書いてあって、楓橋夜泊(ふうきょうやはく)という漢詩が書いてあった。墨絵も描かれてあり、唐の時代の文化人の心境を推し量って、自分もそんな風流な経験をしたいと願ったものだった。

http://www.kangin.or.jp/learning/text/chinese/k_A1_004.html

父は三橋美智也が好きだった。器用にハーモニカで演奏したりした。そして酒が入ると歌っていた。私もいくつかの曲をまだ覚えている。「おぼえているかい、故郷の村を」で始まる『リンゴ村から』のあの渋い声は忘れられない.父はまた『哀愁列車』『古城な』などもよく歌った。まだテレビがない時代で、ラジオで三橋美智也の歌声が聞こえてくると、家族で聞き入ったものだった。

それから、しばらくして母が大変憤慨していた。三橋美智也の奥さんが自殺未遂をはかったというニュースだ。三橋美智也は歌が売れてお金持ちになったら、どうも浮気をしたようだ。それで、奥さんは苦しんで自殺未遂をしたのだ。母はそれから三橋美智也を嫌いになったが、父と私は相変わらず三橋美智也の曲を愛でていた。三橋美智也の初期の頃の曲は寂しくて悲しい曲が多い。彼の歌手として売れなかった時代を想起させて聞くのは辛いが、不思議と人の心に訴えるものがある。

そんなことをふと思い出した。