八代亜紀の訃報が届いた。彼女は私とおなじ73歳である。女性で73歳で亡くなるというのはかなり若くして亡くなるのではないか。膠原病だったと聞くが、これは体の免疫体が自分自身を敵と認識して攻撃する厄介な病気であると聞く。今までにこの病気で亡くなった人を二人ほど知っているが、いずれも女性である。膠原病とは女性に多い病気なのであろうか。

大歌手の八代亜紀であるから、現代の最高の医療治療を受けたのだろうが、それでも帰らぬ人となった。昭和の思い出が1つ消えてゆく。合掌。

あるとき、友人が「ネ 土」は何と読むか知っているか、と聞いてきた。分からないと答えると、「ネ」と「土」が空いているので、「社があいている」つまり「やしろ、あき」で八代亜紀だと説明してくれた。そんな他愛もない冗談が懐かしく感じられる。

八代亜紀Official Website

八代亜紀は正統的な美人歌手ではなくて、昭和の匂いがする影の女というイメージであった。亡父が八代亜紀のファンだった。あるとき、父は八代亜紀の歌い方に表情があり個性的だと褒めていた。ずっとフアンだったように覚えている。彼女の歌を聴くたびに、父のことを思い出すのである。

また、トラック運転手にも人気があったと聞く。日頃の疲れを癒やすために、クラブや居酒屋に飲みにゆくと、八代亜紀みたいなママさんがいて、仕事の愚痴をじっくりと聞いてくれると、明日への活力が湧くかもしれない。

彼女は中学校を卒業して、バスのガイドをしたり、銀座のクラブ歌手をしたりで、下積みの苦しい時代を乗り越えて、やがて歌手として成功してゆく。その姿は昭和の激動期と重なるのである。

YouTube で『雨の慕情』があった。下に貼り付けておく。