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オウム真理教の死刑囚達が、今月相次いで死刑執行された。教祖の松本智津夫をはじめ、その弟子達を含め13名が処刑されたのだ。
地下鉄サリン事件は今でもはっきりと覚えている。その頃、自分は石川県にいたが、東京の霞ヶ関駅は利用したこともあるので、遠い土地の話とは思えなかった。
1995年3月20日に地下鉄サリン事件が起こった。今から、23年ほど前の事件である。その当時、新聞やテレビはそのことで持ちきりになった。教団の異様な実態が次第に明らかになった。
その教義は到底信じがたいものであった。でも、信者たちは本当にその教義を信じていたのである。第三者からみると、荒唐無稽の教義と思えても、信者たちにとっては、命を賭けるに値する教義であったのだ。
オウム事件の裁判が始まった時は、死刑になるのは教祖の松本智津夫だけであり、弟子たちは無期刑あたりではと予想されていたが、次から次と厳しい判決となった。
私欲で強盗殺人をした人間が懲役20年ぐらいあるのに対して、実行犯を運んだ運転手たちまで無期懲役となった。サリンを製造に関与した3名は死刑である。
信者たちは神と仰いだ松本智津夫の言葉に従ったのであるから、同情すべき理由もあると思える。私利私慾ではなくて、教義と教祖に従っただけであった。
思い出すのは、アイヒマンの裁判である。アウシュヴィッツ収容所の所長であるアイヒマンは逃亡先の南米でイスラエルの特務機関に誘拐されて、イスラエルで裁判を受けることとなった。彼は自分はヒトラーに対して盲目的に服従 (blind obedience)しただけ、単に命令に従っただけ、と言っても、罪が許されることはなかった。判決は絞首刑であった。
要は、自分が絶対的に帰依している人の命令であっても、最終的な判断を下すのは自分自身の中にある良心の声に従うべきということだ。
「自分は単に命令に従っただけだ」という事由は減刑の理由にはならないのだ。ナチスドイツの崩壊の後で、各地の収容所の看守たちも罪に問われた。その当時に、看守になった人間たちには、それ以外の職業の選択の余地はなかったとしても、罪が許されることはなかった。
自分にとっては真理だと何かを発見する。そして、その真理に帰依していく。しかし、その真理は全くの偽物である。信じている人はどうやって、それが真理か偽物か見分けるのか。
親鸞は法然上人を信頼して念仏を唱えた。それは絶対的な帰依であった。
たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候
これは、歎異抄第二章にある有名な文章で、「法然上人になら、騙されて地獄に堕ちても、なんら後悔しない」という意味だ。
オウム真理教の幹部たちは、処刑の最後まで、「たとい麻原尊師にすかされまいらせて、地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候」とまで考えていたのか。知りたいところだ。