『マイ・ヒーリング・ラブ〜あした輝く私へ〜』を見終えた。これは52話あってかなり長い話であった。途中までかなり面白かったが、チュが本当の孫娘であり誰が妨害をしたのかが分かってからは面白さは減少した。チュが誰であるのか、それが分かりそうな時になると必ず邪魔をする人が現れる。そのタイミングが絶妙であり、ドラマであると分かっていてもハラハラしていた。それが、本当の孫娘であることが判明してからは、ハラハラすることが減った。後半部分を簡素化した方が、ドラマ自体はまとまりが付いたものになったろう。

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しかし、韓国のドラマは本当に定型化していると感心する。幼児期の生き別れ、本当は財閥の後継者、若い頃の厳しい生活、最後は作家として認められる、というサクセスストーリーは嫌いではないが、現実世界をあまりにもバカにしているとも思える。

韓国ドラマでは食事のシーンがかなり日本の風習と異なる。箸はそのままテーブルに置く。箸置きは使わない。おかずを自分の箸でとって、相手の皿やご飯の上に乗せる。ラーメンなどは鍋から直接に食べる。

あと、オフィスで働く人々が若すぎる。しかも美男美女ばかりだ。私の知っている限りのオフィスはみんな中年のくたびれたおじさん、おばさんばかりだった。オフィスでの出来事は華やかすぎる。韓国のドラマを見ていると、若くてエリート、高身長のイケメンと魅力的な容姿の美女、これらの人々しか存在を許されないのか、と思ってしまう。

日本のドラマも似たようものだが、もう少し基準は緩やかか。さほど美女美男子でなくてもドラマに出ることができる。そろそろ、韓流ドラマも飽きてきたかな。確かにドラマとしてのレベルは高いが、あまりにセッティングが似ているのだ。財閥、記憶喪失、生き別れ、貧乏なヒロイン、エリートのイケメンから認められての玉の輿が必ず組み込まれている。でも、それは人々の要求に応えたものなのだ。一般大衆の願望をドラマは素直に投影しただけなのだ。つまりこの種の典型化は人々の要求から生まれた自然発生的な存在なのだ。