顔の美しさについて昨日は若干の愚考をした。今日はその続きを考えてみたい。

顔が美しいことは、対人関係においては相当の影響を及ぼす。人間社会の中では、異性から選ばれて子孫を残す可能性が高まる。しかし、人間社会外では、つまり、人間のコミュニーティ外の自然の中においては、顔が美しいからと言って生存する可能性が高まることはない。身体が大きいとか、運動神経が優れていれば、獲物を容易に捕獲できて生存する可能性が高まるのは容易に分かる。しかし、顔が美しいからと言って、獲物を容易に捕獲はできない。また、木の実などの食物を簡単に発見することはできない。では、どうして、何の利点もない顔の美しさが異性の関心を引くのだろうか。

それは、結論的に言えば、進化の速度を緩めるためだと思う。男も女も身体能力の高いもの、背が高くて、走りが早い者どうしがカップルとなれば、その子孫はその遺伝子を受け継ぎ、人類はあっという間に身体能力の高い者ばかりへと進化してしまう。自然はそのような急速な進化を好まないのだと思う。身体が大きくなれば、心臓への負担や足腰への圧迫が強くなり、病気を招くのである。自然界で生きるには、身体が小さい方、運動がのろくてゆっくりと動く方が生存に有利な環境もありうる。環境の変化の方向性をゆっくりと見定めるためにゆっくりと進化した方がよい。

自然界は、寒かったり、暑かったり、乾燥していたり、湿気が強かったり、様々な環境がある。そんな中で一方向にばかり進化していったら、環境の激変により全滅の恐れもある。様々な遺伝子が残り、様々な形態の人間が常に生じていることが望ましい。つまり環境の変化に備えていろいろなところに保険をかけておく必要がある。そのために様々な遺伝子を保存しておく必要がある。

女性は、大柄の人、小柄の人、太った人、痩せた人、肉が好きな人、野菜が好きな人、寒さに強い人、暑さに強い人、花粉症に弱い人、強い人、と様々な人がいる。どのような人でも顔が美しければ選ばれる可能性が高まる。つまり、顔が美しければさまざまな遺伝子を残す可能性が高まる。

たとえば、乾燥した地域では、乾燥に強い男と女ばかりが生き残ったら、もしも洪水がきたら全滅してしまう。女性は乾燥に対する耐性とは関係ない要素で選ばれるべきだ。つまり顔の美しさという性質で選ばれるとしたら、乾燥した世界でのみ生存率を高める遺伝子以外の遺伝子を残すことができるようになる。顔の美しさで選べば、その環境でも最も有利な遺伝子以外の遺伝子を残すことができるのである。急速な進化の速度にブレーキをかけて、人類全体の生存可能性を高めるために、ゆっくりと進化するようにさせるのだ。

女性は顔の美しさゆえに選ばれると言うことは、その時代の自然環境には適していない遺伝子をも残す可能性を高めるのである。つまり、どのような環境でも何か生き残れる遺伝子群を保持することである。

それゆえに、男の身体のように明らかな基準は、女性の顔の美しさにはない。つまり、時代や地域によって異なるのだ。江戸時代の女性は、眉毛を剃ってお歯黒をした顔を美しいと感じていたのだ、平安時代は下ぶくれしたふっくらとした女性がもてはやされた。東南アジアのある国では、首の長い女性が美しいとされる。クビに首輪をはめてそれが長ければ長いほど美人となる。我々は今の時代に生きているので、この時代の美の基準が普遍的であると考えがちだが、それは間違いである。いくらでも異なる美の基準はあるのだ。

wikipedia(首長族)より