2015-08-08 更新(2018-03-31)
先日、ネットを見ていたら、ある独身者が次のように語っていた。その独身者は独身生活を謳歌してもういい年になった。独身生活に悔いはなかったはずだ。そんな日だが、夢の中で二人のかわいい子供が現れてその独身者を責めたという。「お父さんはなぜ僕たちを生んでくれなかったの」と言ったそうだ。その時、その独身者はとても辛い思いをしたという。
なるほど。独身者は自分でも周囲からも自由勝手な気ままな生活をしていると羨ましがられていた。しかし、彼は心の奥底には何か後ろめたい思いがあったのだろう。何か義務を果たしていない。あるいは子どもに囲まれた生活が本当はもっと楽しかったのではなかろうーーもちろん、苦労も多いのだが。
彼はそんな気持ちを無意識のうちにいだいていた。結婚して、苦労して子育てをすることが本当の人生ではなかったのか、彼は結局はそれから逃げていたのではないか。
自分には子どもが二人いる。確かにお金はかかる。いなければ自由に気ままな生活ができたのにと思うこともある。海外旅行にも何回も行けたかもしれない。でも、なんというか安心感がある。二つの生命を生み出したという安堵感がある。二人の子どもを見ていると、この子どもたちが世に現れてきたことへの驚きと感謝、生命の神秘、世界が今まで存続してきたことに自分も組み込まれているという感じがある。
家内も似たような感じを抱くようだ。女性は子どもを産むことは大変な労力があるわけだが、それだけの見返りは十分に受けていると感じているようだ。結論は、世界は不思議だ!とりわけ生命の神秘はとても不思議だ!ということだ。
(追記)
家内は二回ほど流産をした。妊娠が分かった時は、我々はとても喜んだ。子供を持つというのはどのような感覚であるのか知らなかった我々はとても興奮したのだ。ところが、数週間して、家内は出血が激しくなって、医者に行くと、流産だと知らされた。とても、失望したのだった。
今でも、そのことをときどき思いだす。流産した子供は男の子だったのか、女の子かだったのか、もしもその子達が生まれていれば、どんな姿形であったのか。その子達に会いたかったなとも思う。
でも、もしもその子たちが生まれていれば、今の二人の子どもは生まれていなかったと思うと、これでよかったのか、とも思う。