YouTube はとても便利だ。自分が高校生の頃からこんな便利なものがあれば、自分の音楽に対する好みも随分と広がったものだろ思う。
ところで、今日は舟木一夫の曲をいくつか聴いていた。『君たちがいて僕がいた』の冒頭だが、「清らかな青春、爽やかな青春、大きな夢があり、限りない喜びがあった」とある。名曲である。さらに、この歌詞は自分はとても納得できて、すんなりと胸の中に入ってくる。
今から50年前は男女交際はあまり盛んでなかった。もちろん男女共互いに関心があったが、どうしたらきっかけを掴めるか分からなかった。今では、ラインか何かで簡単にメッセージの交換ができるが、その頃は手紙を書いて告白をしたのだ。
しかし、この思いを込めた手紙は相手に届かないで、途中で親に処分されたり、友達がいたずらして隠したりと、なかなか手紙は届かなかった。届かなくて、距離があるゆえに、互いの実像が見えなくて、相手を美化してしまう。そんな傾向があった。
現代の若者に、「清らかな青春、爽やかな青春」との表現を聴かせると、笑ってしまうのではないか。小学生のうちから、恋愛の真似事をして、18歳ぐらいになると一通りの経験をしてしまう現代の若者。もう、恋愛に対して40代、50代のような疲れた感情しかいだけないのではないか。
話は変わるが、時々、犬を散歩に連れた人々が通りで出会う。人間は会釈をするだけだが、犬たちは必死になる。特に発情期を迎えた犬同士は必死で近寄ろうとする。
そう、犬の間に恋愛が生まれそうなのだ。しかし、飼い主たちは非情にも犬たちを力づくで引き離していく。離されていく犬たちは必死で吠えながら、叶えられない愛情を嘆くのだ。この犬たちは本当に嘆きの歌を歌っているのだ。
そんな犬どうしの姿をみると、なんだかこの当時の歌謡曲を思い出す。ほとんどの歌が失恋を歌い、家の事情、戦災、転勤などで二人の恋は成就しなかったことを嘆いている。あるいは恋愛下手でうまく自分の気持ちを伝えられない場合もあったろう。
現代でも、相手に告白するのはかなり勇気のいることである。しかし、それでも50年前と比べると、そのハードルは低くなっている。じっくりと相手への思いを高める前に、簡単に告白してしまう。たとえ失恋しても、失恋の歌を聴いて心慰める前に、次の告白相手を見つけてしまう。
すべてが早すぎる。とうてい、空や海を眺めながら「清らかな青春、爽やかな青春」とつぶやく時間はなさそうだ。