天地真理だが、1977年に体調不調によって緊急入院してからは、彼女が華々しく活躍することはなくなった。それ以降に話題にのぼる時は、主としてネガティブな話題と結びつくことが多かった。
彼女が華々しくデビューして大ヒットを飛ばした時代の彼女の印象はかなり強烈だ。私は天地真理に関するブログを集めていて、「天地真理のまとめサイト」というページに記している。自分は、ときどき、新しいブログを発見しては、このまとめサイトに書き加えている。
そして、それらのブログを折に触れて、読んでみる。ファンの人の信仰告白のような文は興味深い。一つの発見は、彼女の不遇だった時代、つまり、芸能界に復帰後、現状打破をいろいろと試みた時代(日活ロマンポルノに出演したり、裸の写真集を出したりした時代)に関しては、触れているブログはほとんどいない。
さらには、中年になり、太った身体で、テレビ出演をしていた時代があった。その姿は、共演者たちからは弄られ、視聴者たちからは驚かれたのであった。からかわれるのが前提のコメディアンのような役割での出演であった。この時代についても語っているブログはない。
天地真理のブログはファンの方が作られているが、いずれも1977年までの彼女だけに焦点を合わせている。1977年以降の天地真理は、あたかも存在しなかったように取り扱っている。
1977年までの彼女は、天使のように可憐で、清純で明るくて華やかである。その後の彼女は、それまでのイメージとは真逆の道を歩むことになる。天地真理の黒歴史の時代であると言えよう。
1977年以前の白歴史の時代、それ以降の黒歴史の時代、そして現代の彼女といろいろな姿がある。現代でも、週刊誌が書き立てる彼女の姿、あるいは公式サイトで現れる上品な貴婦人のような姿、さまざまな姿がある。
まるでそれぞれが別人のようである。しかし、別人ではなくて、終始一貫として天地真理であることは間違いないのだ。でも、それぞれが別人のように見える、彼女の一生をうまく統一的に説明してくれるブログはないのか。
吉永小百合の人生は飛行機にたとえれば高い空を飛んで、順調に飛んでいる。でも、ただ、それだけ。観客からすれば面白くない。
しかし、天地真理という飛行機は、空高く急上昇したと思ったら、失速して急降下したり、また回復したり、墜落寸前かなと思うような低空飛行をしたり、と面白い飛び方をしている。それだけ、見る人にとっては、関心がそそられる生き方である。
50年後に吉永小百合の伝記が書かれるとしたら、伝記作家は単調な話を書きつらねるであろう。それに反して、天地真理の伝記となると、人生の山や谷を記すことになる。いくつもの顔があるので、伝記作家はどのようにして統一的な姿を見つけ出してゆくのか苦労するのではないか。
天地真理を貫く真の姿は何であろうか。うーん、分からないのだ。
お久しぶりです。「天地真理という飛行機は、空高く急上昇したと思ったら、失速して急降下したり、また回復したり、墜落寸前かなと思うような低空飛行をしたり、と面白い飛び方をしている。それだけ、見る人にとっては、関心がそそられる生き方である。」
まさにその通りだと思います。「さらに墜落もしない。」
多くの人は自らの人生経験の中で、けっしていつも高く飛べるわけでなく、現実の中で生きていくわけであり、彼女の生きる姿が自らの人生と重ね合わせながら、そこに共感があるかもしれないですね。天地真理(あまちまり)とは、やはり天地真理(てんちしんり)なのだと思います。
しんりさんへ、本当にお久しぶりです。彼女の人生は波瀾万丈の人生で、それゆえに、見る人の共感を呼ぶのだと思います。でも、見ているとハラハラすることも多いですね。私はドメインを変えて、このブログへと引っ越しをしました。このブログの方ですが、以前と同じように、時々はお立ち寄りください。