昨日のブログの記事は、林真理子についての話だった。ところで、彼女のエッセイの中で天地真理について触れた文章があった。手元にそのエッセイ実物がないので、うろ覚えだが、次のような内容だった。


林真理子は日本大学に入った。そしてあるクラブ活動に参加した。そこのクラブでは、1年生の女子ということで、彼女はちやほやされた。彼女は、クラブの飲み会やコンパでは、よく天地真理の歌を歌った。すると、男の先輩などが、「真理ちゃん!」と言って声援してくれる。

それなりに、彼女は人気者だった。ところが、1年経つと新入生が入ってくる。すると男の先輩の関心はそちらに行ってしまい、彼女はあんまりちやほやされなくなった。「真理ちゃん!」と声援が飛ぶこともなくなった。

それと同時に、歌謡界でも天地真理はあんまり見かけなくなった。おそらく歌謡界でも新入生が次から次と登場してくるので、天地真理も以前ほどちやほやされなくなったようだ。


以上のような話だ。自分が20代の中頃の時だった。たしかに最近は天地真理の歌声を聞かないな、と感じた時があった。林真理子はそんな天地真理の人気下落と、自分の人気下落を重ねている。次から次と新人が登場してくる世界では、いつまでも人気を保つことの難しさがある。

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林真理子はその後エッセイの世界に自分の活路を見いだしてゆく。彼女のエッセイは従来と異なり、インパクトがあった。女の嫉妬、ねたみをあからさまに描いて、新しいエッセイのスタイルを確立した。彼女は自慢話をしないで自虐ネタばかり連発する点も受けた。

その後は、小説などにも手を出して、賞を得たり、何かの審議委員をしたりする。彼女の人生は、器用さ、立ち回りの上手さが目立つ。彼女は才能ある人であることは認めざるを得ない。

さて、天地真理の方は、不器用さが目立つ。上手に立ち回れば、林真理子よりもお金を稼げたであろう。歌謡界の大御所になれたかもしれない。

でも、判官贔屓という言葉がある。天地真理はその不器用さゆえに人々に愛されている、と言えるような気がする。