自分は時々は天地真理に関したブログを読んでいる。自分自身のページであるが、「天地真理のまとめサイト」へ行って、そこには天地真理に関したブログの一覧表が載っている。そして、何か新しい記事はないかブログを訪問している。

今日は、「真理さんと・・・」というブログを開設されている風ウサギ2さんのページを読んでみた。そこでは、『なのにあなたは京都に行くの』について天地真理の歌をYouTube でアップしていて、コメントがある。(その曲を聴きたい方は風ウサギ2さんのブログで聴いてもらいたい。)

天地真理は2つのタイプの曲がある。1つは恋の憧れ・恋の喜びを歌った曲である。アップテンポで踊りたくなるような軽快さがある。他は別れの寂しさを歌った曲でスローでしみじみと聴かせる曲が多い。

彼女はデビューしたときは、恋の喜びを歌った軽快な曲が多いが、次第にメロディーの美しさを追求して内容も嘆きや別れの曲が多くなっていった。

Mariamichelle / Pixabay

さて、この曲だが、確かに美しい曲なのだが、自分は京都に10年以上住んでいたので、あんまり京都に憧れをいだかない。たしかに有名な寺社のある地域は、特に左京区あたりは緑が深くて古風な趣があるが、私の住んでいた西京区の住宅街は電信柱と狭い建売住宅が並んでいて、お世辞にも美しいとは言えなかった。

自分は土日は散歩が好きだったので、よく周辺を歩き回ったが、醜悪としか言いようのない環境だった。ちょっと残っていた畑や緑地がいつのまにやら整地されて、3階建ての住宅が建つ。互いに密着して火事でもあればたちまち類焼しそうなほど接近している。どの家も庭を持つだけの余裕がなくて、家の横の平面はセメントにして車を置いてある。

であるので、自分は、「京都」という言葉からは、狭くて細い道、車にぶつからないように注意して歩く小道、電信柱がそこら中にあって、それを見上げれば電線だらけ、というイメージしか浮かばない。

京都は時々観光客として訪れるのにはいい場所だろう。(たとえば、冬の早朝の仁和寺などは感動する。)しかし、住民として、京都に住むとなると別の話だ。

そんなわけで、『なのにあなたは京都に行くの』は私には苦手の曲である。連想されるのが、狭い建て売り住宅と電信柱だけなのであるから。

風ウサギ2さんのブログにアップされている、チェリッシュと天地真理による、それぞれの『なのにあなたは京都に行くの』を再度、聴いてみた。うーん、いい曲だとは思うが、やはり苦手だな。