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この時期になると、どこでも柿が見事になっている。昨日は、実家へ行って柿を収穫してきた。家内と親戚の子どもを誘って行く。実家を久しぶりに訪問する。初めに、父母の墓を訪れる。墓は実家から5分ぐらいの所にある。夏に来て、お墓参りした時にそえた花が枯れていた。枯れた花を取り出して、近くの野原に捨てた。
父母の墓の前で近況報告する。そして、どうか私たちの家族を守って下さい、とお祈りをした。静かなお祈りだ。墓の中にある先祖代々の骨、自分もあと10年ぐらいで、そこに入るのかな、と考えたら、ちょっと複雑な心境になった。
さて、実家だが、窓を開けて新鮮な空気を入れる。簡単に掃除をする。それから庭の柿を収穫することにした。庭には2本ほど柿の木がある。それぞれ沢山ある。椅子を持ってきて登り、そこから届く範囲の柿を大ばさみで切り落とす。親戚の子どもが拾ってビニール袋に入れた。
かなりの量を収穫できた。届かないところにある柿はカラスへのプレゼントだ。しかし、最近は人々は柿を収穫しないようだ。どこでも、いっぱいなっていて、収穫されないでそのままになっている。この地域は、年寄りばかりになったので、収穫が面倒くさくなったのか。
さて実家の庭だが、昔は甘柿の木は5,6本あったが、糖尿病を患った母親が柿を食べすぎて体調が悪化するので困ると言って、2本を残して全部切ってしまった。でも、渋柿は残しておいた。渋柿だと渋抜きをする必要がある。老いた母親には、その作業が面倒くさくて、渋柿の木は残していた。いつかは渋柿も、さわして食べたいものだと自分は考えている。
それからユズの木へ行く。ユズの木は手入れしてないので、巨大に成長してしまった。昔は、亡父がこまめに剪定していたときは、実がたくさんなった。しかし、これだけ成長すると、栄養はほとんど木自体に吸い取られ、実はほとんどなっていない。かろうじて、10個ほど見つけて切り落として収穫する。
栗は今年は全然実がなっていない。ツタが絡んできたので、これを切り落とす必要がある。
キューイがある。肥料を全然やっていないので、本当に小ぶりである。その中でも比較的大きそうなサイズを選んでビニール袋に入れた。
クルミの木は生長しすぎて手が届かない。川の方に木が生長してしまい。クルミが落ちたとしてもほとんどが川に落ちてしまう。これの収穫は難しそうだ。
そんなことで、その日は果物の収穫をした。椅子に登り、大ばさみで切り落とすのは家内にしてもらい、自分は椅子が倒れないように、家内を支えていた。時々は親戚の子どもも椅子に登ったが、まだ小学生なので、背丈が足りないので、もっぱら落ちた柿やユズを拾う仕事をしてもらった。
この日は、2,3時間の作業であったが、楽しく過ごせた。自然との触れ合いだ。でも毎日、こんな仕事をしていたら飽きるのだろうな、と思う。時々だからいいのかもしれない。でも、完全にリタイアしたら、実家に住み込んで野菜畑を作り、果樹の手入れをしたら楽しいだろうな、とも考える。
あと、実家の庭の草刈りは年に数回、人にお願いしているが、そろそろ自分で行う必要がありそうだ。草刈り機を買って自分で草刈りをするのだ。鋭い刃物を振り回すので、なんだか怖いのだが、気をつけて作業をすればいいだろう。