私が小学生の頃はテレビというものはなかった。近所に映画館もないので映画とか動く画像などを見たことがない。ときどき、小学校の体育館や公民館で大人たちが映写機をまわして映画を見せてくれた。忠臣蔵あたりが定番だった。暗い公民館の一室で、子どもたちが一心に画面を見て、大石内蔵助の一挙手一投足に注目していた。

テレビは新しい時代の到来を告げた。家庭の茶の間に映像が見れるというのは大きな変化であった。当初はテレビを買える人は限られていた。近所にテレビが入ったという情報はすぐさま拡散した。その家に押しかけて、テレビを見せてくれと子どもたちは、せがんだのだ。それは麻薬に近い吸引力を持っていた。近所のテレビのある家に、迷惑もかえりみずに、「テレビを見せてくれ」と子どもたちは哀願したのだ。

私は母親から近所にテレビを見に行かないようにと言われたが、無視してテレビを見たことがある。家に帰ると母親が怒ってひどく叩かれたことがあった。子どもたちがテレビのある家に夕方になると押しかけるのは迷惑行為であると次第に認識されていった。

やがては、各家がテレビを購入するようになった。子どもたちは、近所のテレビのある家に押しかけることはなくなった。近所に平和が戻ったのだ。

我が家でもテレビが購入できた。私は魅了された。自分の好みは主にアメリカの番組であった。『テキサス決死隊』、『アニーよ銃をとれ』、『スーパーマン』、『名犬リンチンチン』、『ミステリーシアター』などが自分の好みであった。

あの頃のテレビは値段はいくらぐらいしたのか。とにかく、みんな月賦販売で購入だ(当時は、ローンという言葉はなくて、月賦販売という言い方をしていた)。給料の10倍はしていたのでは。今で言うと500万円から1000万円ぐらいの感覚か。

それから10年ほど経った。

私が高校生の頃に、カラーテレビが始まった。天然色という言い方をしていたが、たしかに従来の白黒と比べると格段に見栄えがした。白黒のテレビを見ていた頃は、カラーの映像という概念はなかったので、何も不足はなかった。しかし、いったん、カラーテレビを知ってしまうと、もう白黒映画に戻れない。

面白いことに、当時はアンテナを立てたのだが、カラーテレビのアンテナは色が塗ってある。すると、近所の人々は、あの家はカラーテレビを購入した、ということを直ぐに知ることになった。互いの虚栄心と競争心から、カラーテレビを買う人が増えてきた。

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そんなことで、数十年がたった。

今の私は、テレビは見ない。ニュースはネットで見る。歌などはYouTube で鑑賞することが多い。テレビのバラエティーなども最近はまったく見ない。一言で言うと飽きたのだ。テレビは十分に見飽きたと感じる。

時々は、小学生の頃の白黒の番組をもう一度見たいと思うことがある。それらが、検索すると、YouTubeで意外と見れることがある。デスクトップのパソコンの画面で見ると、けっこう大きな画面になり、テレビと同じように楽しめる。当時の白黒の番組は素晴らしかった。

でも、昔の白黒の番組が素晴らしかったと言うよりは、その当時の感覚を再度味わいたい、少年の時代の感覚を呼び起こしたい、そのきっかけに白黒のテレビがあるのだと思う。