動物(鳥)の世界での子殺し、兄弟殺しの実例を見てきた。ただ、動物の世界では、親殺しはない。つまり、子供はある程度大きくなると、完全に巣立ちをして、もう親子の関係はなくなるのだ。年をとった親鳥を若い鳥が面倒を見ることはない。老いた鳥は単に死んで行くだけだ。

人間の世界では、親が子供の面倒をみて、そして親が年老いたら、子供が親の面倒をみる。現代では、介護施設に老親を入れて、そこに介護をお願いすることが可能だ。もちろん、ある程度の資金が必要だが。この老いた親の面倒をみるという習慣が子供達に大変な労苦をかけることになる。

昔は、介護施設はほとんどなかった。子供達が親の面倒をみることが普通であった。しかし、これは子供達にとって大変な苦痛が伴った。そして、虐待があったのだ。

母の家系の曽祖父と祖父と叔父のことを思い出す。私の曽祖父が80歳ぐらいになった。昔で言えば、かなりの長生きであった。もう耄碌して、トイレなどは尿瓶を使っていた。それの失敗もあった。曽祖父の部屋はその匂いが強かった。

ある日、曽祖父が居間に座っていた。その時に祖父が「おじじ、もう死んでもいいやろ」と言ったら、耄碌している曽祖父であったが、何を言われたかが分かって顔を真っ赤にして、口でモゴモゴ言って怒っていた。しかし、もうはっきりした言葉にはならなかったが。何回もそんな言葉を聞いていたのだろう。とにかく、自分は介護という言葉を聞くと、あの曽祖父の部屋の強い尿の匂いを思い出す。

そんな言葉を投げかけた祖父だが、やはり長生きをした。ある日、倒れて骨折をしてから寝たきりになった。介護の仕事は大変になった。オムツを変えたりと叔父の夫婦の負担は厳しくなった。叔父は面と向かっては言わなかったが、「早く死んでくれ」とことあることに周りの人に言っていた。

その叔父だが、晩年は、糖尿病が悪化して、病院に入って、そこで亡くなった。病院では専門的な技能を持ったスタッフが対応してくれたので、お金はかかったが、その子供(私には従兄弟)には介護という負担はなかった。

現代の介護施設には非常にありがたいシステムだと思う。私の母親の介護の時も最後の2年ほどは介護施設で預かってもらったので本当に助かった。

老親の介護というシステムはなくすわけには行かない。動物のように巣立ったら互いにもう知らない。昔は人間の世界でも、年老いたら、すぐに死を意味しただろうが、現代は子供達が、そして社会全体が支えている。

私はシニアであるので、介護保険料を毎月1万3千円ほど払っている。老人介護を社会全体で支えて行くので、介護保険を払うのは仕方がないことである。自分のためでもあるのだ。