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男はいつの年になっても若い女を好むという記事を先日投稿した。若干補足説明をしてみたい。
若いときは男も女も互いに群れやすい。グループで一緒にいると楽しい。幼少から孤独を愛するのは希である。しかし、年をとると人間は固まってくる。つまりそれぞれが別々の道を進み、経験したことや知識が異なってくる。そして、一般的には、異なる人と話すのはストレスである。異なる人とは、自分とはまったく異質の経験をして人である。
自分とまったく異質の経験をした人と身近にいると話題をどう見つけたらいいのかストレスになる。相手もそう感じているだろうと思うと、それがまたストレスになる。
自分を振り返っても、自分と似たような経験の人はいない。話をしても相手の言うことはよく分からない。よく分からないのに一緒にいるのは苦痛である。その点を逆手にとって、若いサラリーマンの間では異業種の人との交流会が良く推奨される。でも、これは無理矢理、自分に言い聞かせて行っている気がする。はじめの数回は異業種の人の話は新鮮だが、毎回、聞いても仕方がないだろう。
ところが、若い人相手ならば、相手の勝手な世界観を聞くこともなくて、安心である。まだ、自分にとっては異質となるような経験をしていない。その意味では、ストレスを感じることはない。
若い女性の場合は、外見の美しさもあるが、内面も固まっていないという点が、男から見ると、一つの長所になる。話題もそう深い話をしなくていいという安心感もある。ところが、中年以降の人生経験が豊富な女性との会話は、やはり困ってしまう。そもそも共通の話題が見つからない。とにかく、異質なのである。若い頃に一緒になった人ならば、共通の部分もあるが、年配の女性と初対面ならば、今まで生きてきた道が異なるならば、話題に困ってしまう。
会話に際して男女は求めるものが異なると言われている。女は共感を求めて、男は情報を求めるという。女同士の話は愚痴を言い合ってそれを慰め合うことですっきりするのだ。しかし、男同士の愚痴は何とか解決策はないか、解決策を見つける行動につながる。
男からすると、異質の人との会話は解決策は見つからない。基盤がないのだ。話をしても空回りと感じてしまう。それはストレスになる。