スポンサーリンク


財布の中の千円札が一枚足りない。不思議だ。

ゆっくりと考えてみる。確か、火曜日は財布の中は500円玉が一個だけになったのだ。それで、足りなくなったと感じたので、ATMから5千円だけを下ろして、つまり千円札を5枚ほど財布に入れたのだ。その後に使ったお金は火曜日の夕方に郵便局で子供に速達を送るのに切手代を払っただけだ。

だから、千円札はまだ4枚あるはずだ。しかし、3枚しかない。どうしてか?他に何を買ったのだ?


こんな風に戸惑うことが増えてきた。私は財布の中はほとんど空だ。金を持っていると使ってしまう性格なのでできるだけ現金は持たないようにしている。

アパートから職場まで歩いて通勤しているので特にお金は必要としない。電車通勤だと途中で不測の事態が起こりお金が必要なこともある。しかし、徒歩の通勤は何かが起こればアパートに戻ればいいだけだ。であるから現金を持ち歩く必要はない。

財布なしでもいいのだが、そうもいかないので、数千円ぐらいを持ち歩いている。お金が不足してきたと感じたら通勤途中のATMで5,000円ぐらい下ろして財布に入れる。自分の財布に1万円以上が入ったことはない。

ただ、昼飯が必要なので、途中のスーパーとかコンビニでおにぎりを買ったりする。どうしたら昼飯を安く仕上げるかに頭を使うのは、ゲーム感覚で楽しんでいる。とにかく、昼飯は500円以内に済ます。

水曜日に昼飯のおにぎりとミネラルウオーター以外に何を買ったのか、思い出そうとする。しかし、どう考えても千円札が一枚足りない。家内が抜き取るということはあり得ない。家内には月の食費として十分なお金を渡してある。


自分には千円札が足りないと感じることが数多くある。まだ8枚はあるなと思っていたら数えてみたら一枚足りないことが多い。これの逆はない。あれ、一枚多いぞ。思ったよりも多く財布の中に残っているな。などと思うことは皆無である。常に足りない、誰かが抜き取ったのではないかと疑うことばかりである。

老人ホームではよくお金を盗まれたという苦情が利用者から出るそうだ。老人の一つの特徴はお金を盗まれたという被害妄想を保つことだそうだ。

でも自分は40歳ぐらいからそんな感覚を抱いていた。子供達がこずかいが足りないので抜き取ったのではと疑ったこともあるが、どうもそうでもなさそうだ。自分の場合は、老人性被害妄想が早めに始まったようだ。金欠病を常に意識していると自然と被害妄想が増大してゆくのであろう。

stux / Pixabay