5月だというのにこの暑さはどうしたものか。北海道でも網走地方では39.5度になったところがあるという。地球温暖化であろう。とにかく、年々史上最高気温を更新し続けているのだ。今日も暑くなりそうである。

自分が小学生の頃の夏が懐かしい。夏は夏らしくて、でもそんなに苦ではなかった。友達と坂を下って、市営プールまで歩いて行った道が懐かしい。空に入道雲が湧き上がり、いかにも夏らしい雲であった。プールでは、無我夢中で泳いでいた。

家には当然エアコンなどはない。どこの家にもエアコンなどは備わってない。夏になると、各家は窓を開けて団扇をあおいで涼んだものだ。ただ、蚊がいるので、蚊帳をつって夏を過ごしたものだ。それも懐かしい。

娯楽は、ラジオを聴くのが好きだった。ラジオの連続放送があり、次回にその話はどうなったのか興味津々であった。父が三橋美智也の曲を聴いていた。美空ひばりも人気であった。

テレビが入ったのは、自分の家では私が小学校の五年生ぐらいか。ただ、テレビの求心力は凄かった。我が家はみんなが吸いつけられるようにテレビを見ていた。

白黒放送で、多くはアメリカの番組の輸入であった。『名犬リンチンチン』、『アニーよ銃をとれ』、『テキサス決死隊』、『ミステリーゾーン』などがあった。国産では、『ハリマオ』、『月光仮面』などを好んで見た。これらの印象は強くて、いまだに覚えている。不思議なことに二十歳以降に見たテレビ番組で覚えているのはほとんどない。これは、小学生の持つ感受性の強さであろう。小学生の時に、どのような教育を与えるかが、いかに大切さであるかを物語るのである。

夏休みには宿題が出た。小学生の頃に、土手に登って道路を通る車の種類と数を記録して、宿題として提出したことがあった。その頃は車の数は本当に少なくて、5分間に1台ぐらい、道路が舗装されていないので、砂埃を上げながらトラックが来ると、「トラック一台、何々の方向」と記録するのである。そんな記録を夏休みの宿題に提出したことがある。

今であったら、1分間に何十台と通るのであるから、そんな宿題は不可能であろう。

そんな夏を思い出した。年々、夏に対しての感動が薄れる。単に過ぎ去ってゆくだけで、エアコンの効いた部屋にいるとそんなに暑さが苦でもなくなる。でも、戻れるならば、小学生の頃の夏を再度経験してみたい。

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