「昔の思い出を語ろう」が、このブログのタイトルだ。自分の懐かしい思い出は何か。

○父方の曽祖母の姿を思い出す。すでにシワクチャなお婆さんであった。可愛がってもらった記憶がある。我が一家が鹿児島に住んでいた時に、祖父から父に「曽祖母」が亡くなったことが手紙に書いてあった。電話もない時代だったので、手紙で肉親の訃報を知らせていたのだ。

○小学校の5年生か4年生の頃だが、横の座席の女の子が唇に少し傷のある子だった。でも綺麗な顔をしていた。細くて背の高い子であった。その子はとてもわがままな子であったが、自分はそのわがままに付き合っていた。席替えをして、その子とは離れた。そのことが残念に思えた。新しく私のそばに座った女の子は、「〜君は、〜さんととても仲よかったね」とからかってきた。自分は、女の子たちは、そんなことを詳しく観察しているのか、と驚いた思い出がある。

○幼稚園の頃、東京に住んでいた。ある時に大きな競技場みたいなところに遠足に行った。そしてグランドは草が生えていて、そこに座っておやつを食べたりした。先生方がフォークダンスの方法を教えてくれた。その時に、若い男の先生と女の先生が手を繋いで踊った。幼稚園児だったが、男の先生と女の先生の踊りは何かなまめかしくて、ドキッとしたことを覚えている。でもその時の若い先生たちももう存命ではないだろうな。

○小学校の6年生の時のクラス担任はとても有能な人であった。30代の半ばでベレー帽をかぶっている先生だった。黒板に「暁に祈る」の歌詞を書いて歌い方を教えてくれた。さらに、子供達に掃除をさせる時に、一人一人に清掃場所を担当させて、終わりにチェックして、清掃をきちんとした児童にはご褒美のカードを与えていた。これは上手な方法だと思った。グループでこの場所を清掃しろと指示しても子供達は従わない。分割して一人一人の担当場所を定める方法がうまくいくのだ。小学生ながらその方法が素晴らしいことが自分には分かった。

○小学生の6年の時に、自分は歴史書をたくさん読んでいた。ある時、先生が「行」という漢字にはいくつかの読み方があると述べて、その読み方を教えてくれた。そして「行在所」と書いて、この読み方をわかるかなと児童たちに問いかけた。自分は手を上げて「あんざいしょ」と述べた。そのことでクラスの人から驚かれたことがあった。これは自分にとって、自慢である。時々そのことを思い出す。


しばらく、昔の思い出をつらつらと書いてみたい。小学生の頃は楽しい思い出が多い。中学校と高校はあまり楽しい思い出はない。自分のコンプレックスが増していたからだろう。