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2021年になった。あけましておめでとうがございます。
昨年はコロナがあり、あまり楽しい年ではなかったが、今年は素晴らしいことが、皆様にも、家族にも、私個人にも起こって欲しいと思う。祝いの言葉で、つまり、言祝ぎたいをして、今年を素晴らしい年にするのだ。
今日の朝は雪が降っている。こんな地でも雪が降るのだ。しかもかなり積もりそうだ。車のタイヤはノーマルタイヤだ。今日はどこにも外出できない。明日も雪が残るとなると、明日も外出できない。バスは動いているだろうから、バスを利用すればいいのだが、それも面倒な気もする。車での外出に慣れすぎてしまった。
50年ほど前の年末年始はどうしていたのか。父も母も健在で妹も含めて、4名でお祝いをした。埼玉県に住んでいたので、雪は降らない。朝はお雑煮を食べた。そして、年賀状が来るのが待ち遠しかった。気になっていた女の子から年賀状が来ると喜んでいたが、何も来ないと落ち込んだものだった。妹も気になってきた男の子から年賀状が来るかどうかをとても気にしていた。
年末は紅白歌合戦を見たものだった。そして、恒例の年初のテレビ番組を見たものだった。お好みの芸人が出ると大喜びして、大笑いしたものだった。お節料理をつまみながら、皆んなでたわいもない話をしたものだった。また、黒電話で郷里の祖父母に挨拶をしたりした。
今は、紅白歌合戦などは見ない。年始のテレビ番組も見ない。親戚が訪ねてくることもない。静かなものだ。年賀状のやり取りも、メールでの挨拶に変わって、かなり枚数も減った。今に、年賀状などを出すと、相手から迷惑がられるのではと思う。
父母が健在でいた頃の日本の正月、とても懐かしい。父は20年ぐらい前に、母は6年ほど前に亡くなった。もう、あの正月を経験することができないのは残念だ。
今年は次男が数日滞在の予定だ。長男はガールフレンドと旅行で会えない。われらは3名で静かな正月を過ごしている。さて、正月が終わると仕事が始まる。また、忙しい日だ。2021年はとにかく何も問題がないようにと願うのみだ。