今から何年ぐらい前か、65年ぐらい前のことだ。私は小学生か幼稚園児かの年齢だった。東京の下町を祖父に連れられて歩いていた。祖父は多分親戚宅を訪問するので、私と妹を連れて行ったのだろ思う。お腹がすいたので、食堂に入った。その食堂はソバ、うどんなどの麺類を提供していた。ウインドウケースにソバとうどんが入っていた。それは、いまでいうワックスの見本ではなくて、そのものがガラスケースに入っていた。注文すると、店の人はそのガラスケースの中から取りだして、我々に提供した。祖父は嫌そうな顔をしてそれには手をつけなかった。私と妹はそれを深く考えずに食べた。美味しかったのかどうか、よく覚えていない。でも、まあまあの味だったと思う。祖父が嫌ったのは、ガラスケースの中のうどんは冷めているし、麺も伸びきっているという理由だったろう。今の感覚でいうと作り置きか、と驚くだろう。

その食堂の床は土であった。土間というのか、セメントなどの敷いていないむき出しの土の床であった。今思い出すと、65年ぐらい前の日本は、そんな食堂も珍しくなかったのだ。現代のような豊かさはなかった。貧しかったけれども、心は豊かであったーーーなどと言うつもりはない。この年になると、貧しいと心も僻んでくるし性格も歪むという実例をたくさん見てきたのだ。ただ、みんなが平等に貧しいと、貧乏生活もそれはそれで納得できる。祖父のことを考える。戦争前はある程度は豊かな生活をしていたようだ。そして、戦争が終わり、日本が荒廃して、街の食堂も悲惨な目に遭った。幼い私と妹はそんな時代を知らないので、ソバやうどんはそんな風な食べ方もありかな、と考えたのだ。みんなが同じように貧しいと心が歪む度合いも少ないと思う。

自分は今は70歳を超えているが、ふとそんな昔のことを思い出したのだ。