祖父と言っても、父方の祖父だがいくつかの思い出がある。若い頃は朝鮮半島で道路工事の監督をしていたそうだが、敗戦の直前に引き上げてきて、それから林業に従事していた。また、役所で働いたりと、職もいくつか変えた。戦中、戦後の大変な時期を生きて、それなりに波瀾万丈の人生だったのだろうが、今の私には知るよしもない。
田舎で私の結婚式の披露宴の時に、祖父は体力がかなり弱っていたが、出席してくれた。そして、親戚から何か歌を歌えと催促されて、酒がちょっと入っていた祖父は『人生の並木道』を歌ってくれた。「泣くな妹よ 妹よ泣くな 泣けば幼い 二人して 故郷を捨てた 甲斐がない」で始まる歌詞だ。祖父の若かりし頃の何か思い出と結びつくのだろうと思った。披露宴では、普通「泣く」という歌詞が入った曲は選ばれない。
この日は、結婚の披露宴であり、たくさんの人が続けて歌った。普通はおめでたい歌詞の曲ばかりを選ぶのであるが、酒が入るとみんな構わず得意な歌、つまり「分かれ」「寂しさ」「恨み」などの言葉を大量に含んだ歌を歌った。ちょっとカオス的であったが、田舎の披露宴はこんなものだと思う。
最近の結婚式は、タブーがたくさんあって、面倒くさい。ウエディングケーキを「切る」と言ってはいけない、代わりに「入刀する」と言うべきとか、守るべきルールがありすぎる。
話は脱線したが、穏やかで陽気な祖父であった。祖父の姿を思い出すと、可愛がってくれたな、と感謝の気持ちが湧いてくる。