2016-03-12
どの芸能人にもコアなファンがいる。その芸能人がどのような状況になっても信じていくタイプのファン、このように、忠誠心の高いファンをコアなファンと呼ぶ。
天地真理には、そのようなコアなファンが多いのではないかという印象を受ける。天地真理には「天地真理のまとめサイト」に示してあるように、熱心なファンの方のブログが数多くある。それらのブログを読むと信仰告白に近いような印象を受ける場合もある。
ところが、その他の芸能人では、そのようなことは見られない。天地真理と同時代を生きた芸能人として、小柳ルミ子、いしだあゆみ、吉永小百合、の3名を例に挙げてみる。この3人について、ファンの方々が作られたブログがあるか調べてみた。するとあまり見かけなかったのだ。
Google 検索の度数をみると、天地真理よりもはるかに検索される度合いの多い吉永小百合でさえも、コアなファンはあまり多くはない。正確な言い方をすると、吉永小百合に特化したブログやサイトをわざわざ開設するほどの熱心なファンは少ないようだ。小柳ルミ子や、いしだあゆみ、も彼女たちを特に取り扱ったブログやサイトは少ない。
ところで、舟木一夫の場合は、興味深いことにブログやサイトが数多く存在する。舟木一夫と団塊世代に関する私的リンク集というサイトを訪問してみると、彼について論じたブログがたくさん紹介してある。舟木一夫もコアなファンが多い芸能人であることがわかる。
このあたりのことは次のように自分は考える。コアなファンが多い芸能人の特徴は、その芸能人が何か挫折経験、失意の経験をしているから、それゆえにファンたちが共感して忠誠心が高まるのではないか。舟木一夫の場合は3回の自殺未遂がある。自殺を考えた人の絶望がどれくらい深いか、ファンたちはそこに自分自身の辛い体験を投影して共感度を高めるのである。
天地真理の場合は、写真集の出版とか日活の映画に出演などは、彼女のイメージに反する黒歴史の時代だ。だが、何とかしなければと考えていたからの選択だったのだろうとも思う。その時の彼女の必死な思いが伝わってきて共感するのである。黒歴史があるがゆえに、人々の共感度が高まると言えようか。
吉永小百合は外から見ていると順風満帆の人生に見える。もちろん本人自身には辛いこともあったかもしれないが、芸能人が外に向けて発するイメージから判断すると、空高く順調に飛行した人生に見えるのだ。たしかに憧れるが、でも生き様に共感は抱かない。
小柳ルミ子も順調な人生であったろう。大澄賢也との離婚騒動などは、むしろ彼女の生活にアクセントを添えただけのように感じる。いしだあゆみ、も同じである。(余談だが、調べていくうちに、いしだあゆみはミニマリストであり、断捨離を徹底する人であることを知った。彼女の断捨離は詳しく調べてみたい)とにかく、いわゆるファンはいるとしても、彼女たちにはコアなファンは少ないようだ。
黒歴史を経験した人であるがゆえに、その人間的な魅力が増すことがあるのだ。ということが今日のブログの言いたいことだ。