2015-10-13

自分にとって天地真理は謎である。不思議な存在である。それは極端に相反する二つの性質が彼女の中に両立しているからである。

  1. 途方もない美しさと途方もない醜さ
  2. 途方もない清潔さ(清純さ)と途方もない不潔さ
  3. 途方もない賢さと途方もない愚かさ

この3つのことを考えてしまう。自分にとっては、彼女はこの3つのそれぞれの性質を所有する謎めいた不思議な存在なのである。

一番目のことについて説明したい。「途方もない美しさ」は説明の必要がないであろう。テレビで活躍していた頃の彼女の美しさは神がかっていた。私にとっては腰を抜かしてしまうような美しさであった。そして何十年してから再び彼女はテレビに登場する。体型や顔が変わり、むしろ醜いと言っていいような、途方もない醜さの持ち主に変容した。

途方もない美しさと途方もない醜さの両者が並立している。どちらが本当の天地真理か、両者とも天地真理の姿に関して真実なのだ。

二番目のことだが、デピュー当時の天地真理は、清純さ・清潔さの象徴のような存在であった。所属事務所の方針であろうが、彼女は肌を露出することはなく、いわゆるお色気路線ではなくて、あくまでも「女性の清らかさ・清々しさ」の象徴として売り出したのだ。

その方針は当たった。自分は、天地真理は永遠に汚れることのない存在のように感じた。それが何年かしてから、裸の写真集を出す。またAV映画に出演する。彼女は今までの自分のイメージを安売りした。自分は彼女を途方もなく汚れた存在に感じるようになった。清純さの象徴から汚れの象徴へと、存在が一方の端から一方の端へ極度に揺れ動く。

第三番目のことだが、デビュー当時の彼女は美しく、そして賢く見えた。当時の自分はこんなに美しい女性はとても賢い人なのだろうと思っていた。(その当時の自分は女性と交際した経験はない。)彼女の賢さに関してもかなり美化していたのだ。

しかし、写真集や映画に出演する姿を見ると大いなる愚行を行っているように思えた。あんな賢そうに見える女性がなぜこんな愚行の極致みたいなことをするのか。そして、その後、週刊誌などから時々聞く、精神の不安定さ、彼女の浪費グセ、きちんと生活設計ができない甘さ等を知る。途方もない賢さと途方もない愚かさが両立する点が彼女の特徴なのだ。

両極端の性質が両立する存在とは不思議だ。自分は、まるで世界の深淵を覗き込むような感嘆と戦慄の両者を感じるのだ。自分は宇宙の果てを考える。自分が宇宙の果てに立ったら、世界の果ての持つ神秘に感銘すると同時に、その不気味さに恐怖を感じるのだ。(ここで自分は村上春樹の小説『国境の南、太陽の西』に出てくるイズミという女性のことを連想する)

うまく考えをまとめられないのだ。今日は自分の話が暴走している感じがする。とにかく、これ以降の文章は次のようにまとめるつもりである。「真のファンならば、彼女のいい面だけを受け入れるのではなくて、両方の面を受け入れるべきだ」と言いたいのだが。考えがよくまとまらない。後日、この点を論じる。今日はこれまで。


(追記 2018年3月13日)

村上春樹の小説の中では、『国境の南、太陽の西』が一番好きだ。その中で二人の女性、島本さんとイズミが登場する。二人とも可憐で愛らしい女性だが、一人は、後年、苦難を経験したためであろうが、往年の可愛らしさはなくなり、子供達から怖がられる不気味な存在となる。もう一人はいつまでも主人公の中に生き続け、時には幻影となって主人公に現れる。

男から見た女性の神秘性と、その神秘性の持つ偽りや幻想を上手に描いた本であると思う。