自分が独身のころ、見合い話が持ち上がった。相手は、医院に勤めている女性で自分と近い年齢の女性であった。父の友人が父に持ちかけた話のようだ。関心を持った父は、わざわざその病院まで行って、身体のどこかが不調だという理由を作って、その女性を見てきた。

その頃、私は遠地に住んでいた。父は電話で私に「見合いの話があるがどうだい。俺はわざわざ病院まで行って、その女を見てきた。まあ、その女は、林真理子をちょっと悪くしたような顔かな」との言葉であった。

自分はちょっと関心を持って「まあ、会ってもいいかな」と返事したが、結局は、その話は相手が自分に関心を示さず、お流れになった。

面白いと思ったのは、父親の「林真理子をちょっと悪くしたような顔」という表現である。その当時の林真理子は、すでに有名人であった。顔はいつも、ふてくされて無愛想であった。

林真理子のエッセイを何冊か読んだことがあったが、いつも斜に構えて、皮肉と嘲笑で人を見ている内容だった。さらには自虐的な話も沢山あって面白かった。「はーあ、女性はこんな考えをするのか」と自分にはとても勉強になった。

赤裸々に本音を語っていく。ラブホテルに男友達と一緒に行ってコトに至らなかった話など、笑いながら読んだ。こんな話を堂々と披露する彼女の度胸にも驚いた。

そんな才能ある女性であるが、女性としての魅力はイマイチ、特に顔は不美人である、と分類されていた。もっとも、顔の造作は普通であるが、愛嬌がなくて顔が太っていたので、そのように見えたのである。

父親の「林真理子をちょっと悪くしたような顔」という表現は、つまり、女性に対してかなりの酷評なのであった。

ところで、林真理子の顔であるが、年を取っても全然劣化しないので、これは驚きである。むしろ若いときよりもレベルが上がったと思える時もある。

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これはなぜだろうか。1つはダイエットを意識しており、体形管理に成功したこと。次は、お金があるので整形手術も何回か行ったのではないか(これは私の憶測だ)。さらには、人生の成功者として、顔に穏やかさが出てきた。生活の余裕から生まれる貫禄さえもある。そんな理由が挙げられるだろう。

ただ、エッセイは若い頃のギスギス尖っていたような文体の方がよかった。最近のエッセイは、たとえば、『週刊文春』連載のエッセイは毒気が抜けて、かえって魅力が半減したとも言える。

まあ、いつまでも、若い頃みたいに斜に構えて人生を見ることはできないだろう。林真理子は斜に構えるには人生の成功者になりすぎた。現在は63歳だ。まあ、この路線で、まだまだ活躍はするだろうな。