亡父が三橋美智也のファンだった。私が小中学生の頃は、ラジオやテレビなどでは、三橋美智也の歌声がよく流れていた。父は、酒を飲むとちょっといい気持ちになって、よく口ずさんでいた。

懐かしいのは『古城』である。この曲を聴くと何となく切なくなり、秋の日の哀愁を帯びた光景が浮かんでくるようだ。以前、私はこのブログで三橋美智也のこの歌に言及したことがあった。

この曲以外にも、『武田節』も好きだ。これは、武田信玄と武士たち、武田の軍勢の出陣を歌にしたもので、堂々としているし、また切ない部分もある。切ない部分は、息子の勝頼の代に武田家が滅んだことが思い出されるからであろう。「祖霊ますますこの山河、敵に踏ませてなるものか」と歌ったのだが、武田勢もついにはこの山河を織田信長の軍勢に踏ませてしまう。そんな史実が、この曲の情感を高める。

曲の間には、風林火山の句を歌う詩吟がはさまれているが、これは「格好いい」の一言だ。何か新しいことをするときは、自分もときどき、「ときこと、風のごとく、静かなること、はやしのごとし」などと口ずさんだりする。

彼の曲には、自然を歌ったものから、故郷を歌ったもの、愛惜をうたったもの、など名曲が多い。恋愛を歌ったものもドロドロした愛ではなくて、さらりとした諦観を含んだ歌を歌うようだ。しかし、三橋美智也は私生活ではドロドロして愛憎劇に巻き込まれてしまう。

最初の奥さんに関しては、次のようなことがあった。

1966年 10月8日 歌手、三橋美智也の妻、北沢喜久子が東京都世田谷区烏山町668の自宅にて子と共にガス自殺(未遂)後に離婚
(http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/dazai/db07.html)

この事件は私の少年の頃のことでよく分からなかったのだが、私の母の説明によると、「三橋美智也は金回りがよくなったら貧乏なときから尽くしてくれた糟糠の妻を捨てて、若い美人に走った、けしからん男」だそうだ。

母親は芸能人の離婚話など興味を持っていて、男は芸能界で売れ出すと、苦労をともにしてきた妻を捨てる事件が多いと憤慨していた。もっとも、我が家は父親が貧乏で、若い女に走る財力もなくて、二人は添い遂げたのだ。これは、めでたし、めでたし、ということか。

そんな事件はあったのだが、私自身は『リンゴ村から』『哀愁列車』などが好きであり、三橋美智也には好感を持っている。少年の頃に夢中になって見ていた連続テレビ番組「快傑ハリマオ」の主題歌であったことも懐かしい。

とにかく、三橋美智也は懐かしい。自分の少年の頃の思い出や、健在だった父母の姿も浮かんできて、しばし物思いにふけってしまう。

古城のレコードカバー