天地真理デビュー45周年記念パーティが10月2日に東京の渋谷であった。私はこの日は地元のお祭りの担当であり参加はできなかったが、どんな具合であったか気になっていた。幸いにも、hatogairu kouen さんが「再発見!歌姫・天地真理」というサイトで詳しくその状況を報告してくれている。
そのサイトは、写真も豊富で臨場感溢れる報告となっている。hatogairu kouen さんの時間の流れに沿った報告は自分までもその会場にいるような気持ちにさせてくれる。とても筆力のあるhatogairu kouenさんの文章であった。
ところで、1年ほど前、『週刊新潮』が「天地真理が老後破産」というタイトルで世間の話題になったことがあった。私のサイトの天地真理に関する記事に対して急激に訪問者が増えてびっくりしたことを覚えている。
この『週刊新潮』の記事に対して天地真理ファンクラブは憤慨している。おそらく、天地真理側としては、週刊新潮からの今後の取材申し込みは一切受けないのではと思う。
非常に後味の悪い出来事であったが、影響はマイナスだけとは言えないと思う。とにかく、(1)天地真理が注目されたのである。芸能人は注目されてなんぼである。無視されることは芸能人にとって死刑宣告のようなものである。たとえ、ネガティブな形での注目であっても、世間の注目を浴びたことを、何とか「災いを転じて福となす」こともできると思う。
(2)ファンの団結が高まった点がある。天地真理を守らなければという雰囲気がファンの中に強まったのではないか。
さて、私自身だが、やはり週刊誌に書いてあった老後破産という言葉が重かった。自分自身の身の上のことを考えると、怖くなった。自分の年金はいくらか、保険料の支払い、嘱託の仕事の給料などがとても気になるようになった。病気になったら生計はどうするかも心配である。このブログでもそのことに言及することが増えた。
自分のブログには過去一か月に読まれた記事の一覧表がある。圧倒的に天地真理に関する記事が多い。その意味で、このブログの性格付けの一つとして「天地真理に関するブログである」と言えよう。
天地真理に関するブログはたくさんある。自分はそれらをチェックして「天地真理のまとめサイト」として並べている。ほとんどが管理者の方から了承を取ってないのだが、その点はお許し願いたい。それぞれの方のブログには個性があるが、さて、自分のブログの個性は何かと考えることがある。
自分は、天地真理の存在から触発されて、青春のはかなさとか美貌の移ろいやすさ、時間の残酷さなどをよく論じている。そのことが自分のブログの特徴であるが、読む人によっては楽しくないブログになっているかもしれない。