先日、車を運転していたときに、ラジオ番組で藤圭子が話題に上った。牧村三枝子がゲストとして話をしていて自分が一番影響を受けた歌手は藤圭子だと述べていた。そして、司会の人が「藤圭子さんは盲目の母親の手に引かれながら流しで生計を立てていた」と述べていた。
藤圭子は独特の陰鬱な内容の歌で知られていた。『女のブルース』や『新宿の女』は暗い女の情念を歌った歌であり、共鳴する人も多いと思う。
ラジオで司会者が『女のブルース』の歌詞が作られた時の逸話を述べていた。作詞家の石坂まさをが作曲家の猪俣公章に、「今度出だしが、「女ですもの」というフレーズが連続する歌詞を考えたので、それにふさわしい曲を作ってくれ、ヒットするかもしれない」と言ったそうだ。猪俣は「えらく面倒くさいことになったな」と思ったが、結局はそのユニークな歌詞の印象が強くあたり大ヒットになったのである。
藤圭子は1951年生まれで2013年に自ら命を絶った。私とほぼ同年代の歌手である。自分が二十歳ぐらいの時には、ラジオやテレビで彼女の歌う姿を頻繁に見た。「貧乏」「暗さ」「恨み」が彼女の歌のキーワードになるだろう。
ただ、このような曲は青春をかたる永遠の曲にはなりづらい。人々の忘れたい過去とは結びつくかもしれないが、自分の青春の思い出として大事にしまっておきたい曲にはならない。
彼女と同じ年齢の天地真理には熱心なファンのブログがあり、今でも彼女の歌の魅力をたたえている。しかし、藤圭子のファンがつくる思い出のブログはほとんどない。
さて、藤圭子は浪費家であったそうだ。ファーストクラスでの飛行機旅、ギャンブル、ホスト遊びなどで資産をかなり使い尽くす。貧しい時代にはできなかったことを実現する、これはある意味で仕方がないことかもしれない。
彼女の娘の宇多田ヒカルは音楽の才能豊かな歌手として有名である。アメリカの学校に通ったこともあり、英語は堪能である。母の歌と比べるならば、「貧乏」「暗さ」「恨み」という要素が消え去り、「中立的」、「醒めた感情」、「国際性」、「現代的」という要素が表面に出てくる。確かに、今の時代は「暗さ」を売り物にしてもはやらない。
彼女の母と娘の三代の歴史(活躍した場所)は以下のようになる。
(1)母:竹山澄子(三味線瞽女):北海道
(2)本人:藤圭子(有名な演歌歌手):新宿・日本
(3)娘:宇多田ヒカル(有名な国際派歌手)・ニューヨーク・全世界
世代ごとに地位が上昇していった、前代の貢献によって次の代が飛躍できたのだ。宇多田ヒカルはイタリア人男性との間に男の子がいるそうだが、この子に音楽的な才能があれば、母(宇多田ヒカル)よりもさらに有名になり広く活躍できるかもしれない。
この一族が世代ごとに徐々に社会の階段を上っていく姿、これは小説家がいて、『〇〇家の光と影』というような小説でも書いてくれるといいのだが。自分は是非とも購入したい。