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この60代という年齢が自分にはとても重苦しい。世間的にはある程度の地位と貯金があるはずだ。しかし、自分は退職して嘱託のような仕事をしているので地位はない。貯金は子供の学費に使ってしまい、あとは次男の大学の授業料の分だけを残すだけだ。

そのことを自分は恥じる。自分の同世代の人の多くが、何千万という貯金があることを考えると、自分の貯金の少なさを恥じる。人にはその額を言いたくない。

高校時代の同級生が医者業をやめて八ヶ岳の麓に家を買ってそこに住むことにしたと聞く。奥さんも新しい女性にしたそうだ。金は十分に溜めているのだろうから、もう働く必要はない。でも、自分に関しては、嘱託の仕事をもう少し続ける必要がある。

のんびりと余生を送りたい。と、殆どの人は考えているだろう。私に関しては、いまのところは、無理である。でも、次男が退職したら金銭的にも若干余裕が出るかなとも思っている。2年後だ。

2年したら、でも、自分の体力がどうなるか。徐々に体の力が衰えているのを感じる。特にどこか悪いわけではない。血圧や血糖値は年相応のところだ。しかし、食欲は昔と比べると衰えている。現時点で、特に何か食べたいものはない。何か飲みたい酒もない。惰性で焼酎を飲んでいるが、昔と比べると楽しむことも減ってきた。旅行したいところも特にない。本も読みたくない。スポーツなどしたくない。

面倒臭いという気が年々強まっている。生きる力、生き抜く力が衰えているのは実感できる。次男の大学卒業までは頑張る必要があるのだが、それが終わると自分のこの世でのミッションも無くなる気がする。

だんだんと枯れ葉のように、自分は、人生の秋に差し掛かり散り始めるのだ。色がかなり紅葉してきたのだが、まだしっこく枝にしがみついている。もう少し赤みが増すと、いよいよ散っていくのだ。そのときは、優雅に散っていきたい。

長患いをして、家内や子供たちに嫌がられたくない。一瞬で、苦しまずに、逝きたい。

tpsdave / Pixabay