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結婚式は一体いくらぐらいお金を掛けるのか。自分の代はみんな結構大金をはたいていた。双方がお金を出し合って、200~300万円ぐらいかけて式を挙げていたように思える。一生の最大の時ということで、ことに女性側は張り切って臨んだものである。

今は、昔と比べれば、簡素になったと思う。まず、離婚が増えてきたので、派手な結婚式を挙げても無駄になることが多い。何回も結婚式ができないように、結婚式はお金をつぎ込むものだと言われていた。つまり派手な結婚式は、離婚がしづらいように心理的な圧迫を両者に与えるものであった。

StockSnap / Pixabay

私の息子がある女性と付き合っていた。その女性は何でも社長の娘だということだ。私が一番心配したのは、2人が結婚式を挙げることになり、双方の親がお金を出し合う場合だ。双方の親が対面して、挨拶をする。それから、さて結婚式でいくら費用が出せるかの話し合いの場に、私は「全然金がないので、出せません」というのは屈辱である。そんな場を想像することが、自分には恐怖であった。

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実は、昨年、息子はその彼女と別れて、新しい彼女と付き合っているようだ。探りを入れると新しい彼女の実家はあまり金を持っていないようだ。それでちょっと安心した。息子には、「派手な結婚式は無用だ。互いの心のつながりが大切だ。もしも結婚式を挙げたいならば、自分たちで貯めたお金で式を挙げなさい。そのほうが有意義だ」と述べてある。私に金がないのでそんな言い訳を息子に話しているのだ。

とにかく、金のかかる儀式は私は苦手である。葬式も金がかかる。父親の時は数百万円ほどかかった。もちろん、香典もたくさんもらったが、それらは返していかなければならないものだ。互いに見えを張って香典を高いものにしていくと、自らの首を絞めるようなものだ。

坊さんにもたくさんの金を払うことになる。母親の時は、施設は故郷とは離れた都市にあったので、親戚には報告しないで、家族葬とした。親戚に葬式の場所や日時を伝えても、親戚達も困るわけだ。金がかかるし、年老い親戚達が遠地からはるばるやってくるのは難儀なことだ。

母親の時は、セットで40万円という葬式のコースを申し込んだ。全てそれでまかなってくれた。坊さんには、別途で10万円払うのだ。お通やと葬式の二回読経を読んでもらい、それで10万円を渡した。自分の家は浄土真宗であるが、坊さんは真言宗である。宗派は異なっているが、私も坊さんもそんなことは気にしなかった。

ただ、その坊さんから、戒名は檀家として仕えていた坊さんにつけてもらうのが筋だからと言われた。でも、檀家の坊さんにお願いしたら、戒名をつけるだけでべらぼうなお金を要求されることが予想された。それで、真言宗のお坊さんに、「とにかく何でもいいですから戒名をつけて下さい」とお願いしたら、何やら、それらしき名前をつけてくれた。それも10万円の謝礼の中に組み込まれていたのだ。

日本人は昔ほど豊かではない。日々の生活だけで精一杯である。儀式のようなものは真っ先に簡素化されるものである。仕方ないであろう。だんだんと貧しくなっていく時代であるから。