舛添要一叩きにあけくれたマスコミ
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2016-06-25

舛添要一が知事を辞任した。このところ、彼のニュースがマスコミを賑わした。私は、彼の私生活について特に関心はないが、否応なしに、愛人と婚外子がいたとか、離婚したとか、そんなことまで知ってしまった。

ただ、彼の政治家としての検証は行われたのか。彼の政治信念は何か、都知事として何を決断して、何を実行したのか、それに関してのニュースはあまりない。

舛添要一の政治家としての評価はどうなるのか。人間としての評価は分かった。しかし、政治家としての評価も知りたいのだ。

たとえて言えば、ラーメン屋の店主を評価するのに、愛人がいたとか女癖が悪い、という評価よりも、料理人としての腕前をまず知りたちところだ。栄養のある美味しいラーメンを廉価で提供したかどうかを判断すべきと思う。

舛添要一の政治資金の私的流用がひどすぎるが、政治家としての業績がそれを補ってあまりあるほどであるならば、知事職を続ければいいし、政治家としての業績もひどいものならば、辞職すればいい。要は、第一は政治家としての力量であり、第二は人間としての品性だ。第二の点ばかり報道されて、第一の点が報道されない。

なお、愛人がいたかどうかはプライベートな問題で本人たちに任せればいいのではないか。マスコミは舛添要一は都知事という公的な存在なので、私的なことも報道するべきだと反論するだろうが。

とにかく、マスコミは舛添要一叩きに終始した。彼の当初の高圧的な態度がマスコミを刺激したという点もあるだろう。その意味では、彼はマスコミをなめていた面もある。彼もはじめは辞職にまで発展するとは思ってもいなかったろう。

結局は我々一般庶民のせいでもあるのだ。マスコミに面白いゴシップ記事を期待して、そのような記事ばかり書いてある新聞や雑誌を購入する。それは麻薬のようなものである。やみつきになる。それゆえに、マスコミも我々のスキャンダル報道を喜ぶ態度に迎合するのだ。

そんな偉そうなことを言う自分だが、実は、時々は『週刊文春』を購入する。でも、購入するときは、自分自身を恥じるのだ。ゴシップ記事を読みたい、他人のプライバシーを知りたいという下劣な気持ちをいだく自分自身を恥じるのだ。

結論的に言うならば、『週刊文春』を時々は購入もいいだろう。でも、要はゴシップ記事であり、この国で起こっている本当の姿が見えてくるものではないことを知っておくべきだ。暇つぶしに購入するのだと自分に言い聞かせて、書かれていることを鵜呑みにはしていないのだ。

masuzoe