2016-08-06

盛夏なのだ。子供の頃と比べて夏の暑さは程度が増してきたのか。自分が子供の頃は、当然エアコンなどというものはなかった。夏は暑いし、窓を開けて、ときには縁側の戸も開けて寝ていた。下着だけになり、団扇で扇ぎながら、そして蚊帳の中で寝ていた。

その頃は、そのようなものだと思っていたから、特に不満はなかった。しかし、年をとってくると、だんだんと贅沢になる。エアコンを購入して、少しでも暑くなると、エアコンを入れる。職場でも、通勤途中の電車やバスの中までエアコンで冷却されている。そんなことで、人々は暑さに対する耐久力がなくなってきた。

昔の職場は、扇風機を回していた。窓を大きく開けて、みんなタオルで顔や首を拭きながら、「暑いですね」を連発しながら、扇風機で書類が飛ばないように押さえながら、それで仕事はしていた。

おそらく、暑さ自体はそんなに変わらないと思う。ただ、都会のほとんどで、コンクリートやアスファルトの照り返しが強くなり、緑が少なくなり、木陰がない。ビルはエアコンの排気を外に出す。そんなことで、都会に住んでいると、昔と比べるとはるかに暑くなったように感じるのだ。

今、自分は地方の小都市の郊外に住んでいる。緑が多い。でも田んぼや畑であり、大きな鬱蒼とした森は少なくて、木陰も少ない。こじんまりとした木々に囲まれた神社の中を歩くとひんやりとして気持ちがいい。昔は至る所に、こんな木陰があったのだ。

地球温暖化はたしかに進んでいるのだろう。しかし、それ以上に、体感温度では5〜6度以上に上昇している気がする。それは我々の生活環境が変化していることであり、昔のままの日常ならば、そんなに温度上昇とは感じなかったのではないか。

ところで、クールビスはありがたい。自分が会社員だった時は、夏でもネクタイをして働いていたものだ。炎天下を歩くときは、さずがに、ネクタイを緩めて歩いていたが、その頃から、誰がネクタイという奇妙なものを発明したのだろうか、そしてなぜこんなものを締めるのが習慣になったのか、不思議に思っていた。

今は、夏では、総理大臣でもネクタイなどという変な布切れを首に巻かない。これはいいことだと思う。

photo credit: Donald Trump Necktie via photopin (license)
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