昔のことをいろいろと考えていたら、自分が中学生の頃に、シルヴィ・ヴァルタンという歌手がいたことを思いだした。あの頃は、アメリカのポップスだけでなくて、フランスの歌やイアリアのカンツオーネなども日本に流行していた。そして歌声喫茶などもあって、ソビエト・ロシアの曲なども人々はよく歌っていた。そのような曲がとても懐かしくなった。現在は、幸いなことにYouTubeがあるので、いくらでも思い出に浸れる。
さて、当時日本ではやっていたフランスの歌手はシルヴィ・ヴァルタンがなんと言っても第一であった。この人の『アイドルを探せ』は大ヒットした。YouTube で見つけたので下に貼っておく。
しかし、この『アイドルを探せ』というタイトルだが、オリジナルの歌詞とは全然関係ないではないか。La Plus Belle Pour Aller Danser なので、「ダンスをする中で、一番美しい女」というような意味であり、「アイドル」という言葉はどこから出てきたのか首をかしげてしまう。
この人はブルガリア生まれである。父はフランス国籍のブルガリア人で母はハンガリー人である。シルヴィ・ヴァルタンというと、すぐにフランス人と思うが、生粋のフランス人という訳でもなさそうだ。1944年生まれだから、いまは72歳である。若い頃は可憐な感じであり、着ている服もお人形さんみたいで、それも似合っている。
戦後は共産圏となったブルガリアから、1952年にフランスへ移住してきたそうだ。このことで、彼女の人生に大きなチャンスが生まれた。あのままブルガリアにいたら、彼女の才能を世界は知ることはなかったろう。
彼女の最近の動画なども見たが、美しく老いたという印象だ。なんだか、デビ夫人と似ている。デビ夫人は品がない感じだが、シルヴィ・ヴァルタンの老境は過去の栄光を背負って、威厳がある。
なお、この人の異色の曲だが、『悲しみの兵士』という曲がある。これもYouTube を貼り付けておく。
これもタイトルが日本人が売れ行きをよくするために勝手に直している。Les hommes qui n’ont plus rien à perdre なので、「もう何も失うことのない男たち」というような意味だ。反戦のメッセージの込められた曲だ。恋愛の歌ばかり歌っていたのかと思っていたら、シルヴィ・ヴァルタンはこんな曲も歌っていたのだ。
ところで、日本の音楽業界の商業主義には困ったものだ。たとえば、原題は「コーヒー豆を挽きながら」であり、コーヒー農園で働く労働者の苦労を歌った原曲が、西田佐知子が歌うと全然関係ない話になってしまう。日本語版では、コーヒーを飲んでたちまち若い娘に恋をする男の話になる。このあたり、日本の音楽業界は見境がない。
などと、いろいろと連想は飛ぶが、我らはいい曲を素直に楽しめばいいではないか。