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「年金生活」という言葉には何か楽しげな、豊かで、のんびりとしてイメージがある。しかし、実態はどうであろうか。
先般、知人のブログを見つけた。その人はブログに実名を使っている。定年退職して、昨年から年金生活者になったと述べている。ブログの中で、年金生活の厳しさについて愚痴をたらたら語っている。
この知人は私と同年配である。同じようなタイミングで年金生活者になったのである。知人の場合は奥様も働いていられて、今、二人で年金をもらっている。それであるから、そんなに生活が困窮しているようには見えない。
ブログを読むと、外車の修理費がかさんだとか、所有する山林の経営を専門家にまかせたいとか、関東にあるマンションを売却したとか、私から言えば、一段上の話をされている。
ただ、現役時代よりは、収入が下がったのは事実のようで、そのことを嘆いている。そりゃ、現役時代と比べれば金銭的にはかなり下がってしまうだろう。
この知人に連絡して、「久しぶりだね」と挨拶したい気がする。そして、年金生活を乗り切る知恵を互いに出し合いたい気もする。しかし、何だか、気恥ずかしい気もする。
豊かな年金生活。人生の苦労が報われて、のんびりと趣味とボランティア活動に励む日々。これはどうも幻のようである。毎年、膨大な数の人が年金生活者になる。一言で言うと収入が4分の1ぐらいに減った生活をするわけである。これらの方々が年金生活の幻滅を味わうことになる。
別の知人の方は、「住宅ローンが残っていて、それがあと数年は続く」と言っておられた。それで必死になってアルバイトや嘱託の仕事を探していた。各地に履歴書を送り、人々に頭を下げまくって、「仕事を下さい」とお願いをしまくっていた。
その方は現役の頃は、理想が高くて、超越している点もあった。そんな方が、必死で職探しをしている姿を見るのは意外である。
要は、年金生活者になって過去の栄光にとらわれて威張っていても仕方がないということだ。少しのコネでもいいから、人々にお願いしまくる。「どんな仕事でもいいから、下さい」と頭を下げまくる。
自分もうかうかしていられない。とにかく、病気さえしなければ、少ない年金でも何とか生きていける。今の自分にできることは、健康管理をきちんとすることである。
過去の栄光があった人はそうでしょうね。私は転職ばかり繰り返していたので、45歳で資格を取って、今62歳で現役です。とにかく健康であるうちは働きます。年金生活なんて到底できないですね。仕事をくださいなんてのも惨めですね。
栄光のあるうちに準備をしておく必要があることは、分かっていても、できないのが普通でしょうね。
節約なんていうけど、60過ぎると付き合いで金はかかるし、本当に大変、70過ぎでも、年金以外の収入確保を考えないと貧困老人になってしまうよ。貧乏な親には子供も近寄らないですしね。
子猫さんへ コメント有り難うございます。自分は今、乏しい年金+嘱託の仕事で何とか生活をしています。お金がなくなると、この年でも夫婦間で喧嘩をしてしまいます。いま、行っているのは。自分と同世代の人のブログを読んで、老後をどう乗り切ったのか、知恵を拝借しようとしています。一円でも節約をしたい。他の方はどうやって節約をしているのか、ブログを読んで勉強をしています。そして、現状では70歳を過ぎても、何か収入確保を考えないといけないのが事実です。ただ、今の自分の嘱託の仕事ですが、70歳を超えてまでは働けないでしょうし。毎日、今度のことを考えると落ち込んでしまう。そんな毎日です。