ペギー葉山が逝去したというニュースを聞いた。83歳という年齢だ。自分の小学生の頃から歌を歌っていた人だ。明るくて健康的な歌を歌っていた。

『南国土佐をあとにして』などは覚えている。自分がいつか高知県を訪問して、はりまや橋を訪問してみたいと考えているのは、この曲を聴いたせいだ。まだ高知県そのものも自分は訪れたことはない。

「土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし買うを見た」などの歌詞はどんないわれがあるのかと知りたい気がする。ユーモラスな感じで、くすりと笑いたくなる。

彼女の『ドレミの歌』や『学生時代』もヒットした。『学生時代』の歌詞も大好きだった。冒頭から格好いい。

  つたのからまるチャペルで 祈りを捧げた日
  夢多かりしあのころの 思い出をたどれば
  なつかしい友の顔が ひとりひとり浮かぶ

しかし、今から考えてみると、チャペル、十字架、祈り、賛美歌など、クリスチャンではない日本人にはあまりなじみのない言葉を並べ立てていた。これでよくアピールしたのだなと感心する。

Der_Typ_von_Nebenan / Pixabay

西洋への憧れが非常に強かった時代の歌だ。テレビで見るアメリカ人の生活などは我々には想像もできない豪華な生活だった。十字架やチャペルは、そんな豊かな恵まれた生活様式を我々に連想させた。

大学には仏教系の大学も多い。そこでは仏教教育が推奨されている。であるから、学生時代の仏教バージョンがあってもいいと思う。

親鸞聖人の御姿の前で
数珠を手にして、唱えた南無阿弥陀仏
はるか浄土を思いやり御仏の姿が浮かび上がる

というような歌詞の学生賛歌があってもいいと思う(なお、この歌詞は自分が勝手にでっち上げたもので存在はしない)。こんな歌があったとしても、流行しないだろうな。なぜか、葬式を連想させて暗いイメージの曲とされてしまう。

自分の小学生の頃、すべてが可能であり、大人になったら素晴らしい出来事が一杯あるのだ、と信じていた。その頃の自分とペギー葉山の歌は重なる。

大人になると、『学生時代』の歌詞にケチをつけるような浅ましい真似をするのだが、今は純粋に小学生の頃の自分を思い出したい。

ペギー葉山という歌手の逝去、昭和の思いだがまた1つ消えたのだ。ご冥福を祈りたい。