舟木一夫、天地真理、渡辺真知子
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2015-12-24

先日、「しんり」さんのブログで紹介してもらったノスタルGさんのブログを読んだ所感をいくつか語った。ノスタルGさんのブログに渡辺真知子のことがいろいろと述べられていたので、私も興味を持ちいくつか彼女の曲をYouTube で聴いてみた。むかし確かにこんな曲があったということは思い出した。でも、その当時はあんまり感銘を受けなかった。

渡辺真知子は1956年10月23日生まれで、現在59歳である。この人の曲、『迷い道』『かもめが飛んだ日』『ブルー』がヒットしたのは私の20代の後半である。このころは、自分は忙しかった。仕事が自分に向かないことが分かっていたので、転職やらなにやらで、気持ちに余裕がなくて音楽をしみじみと聴く余裕がなかった。この当時のヒット曲はじっくりと聴いたことがない。

舟木一夫の曲は自分が小学生のころにヒットしたのであり、自分をこれから待ち構えている素晴らしい世界の予兆となる曲であり、自分を興奮させた。天地真理の曲は自分が青春の只中にいるときの歌であり、無条件でこの世界に浸ることができた。

しかし、渡辺真知子の曲は、社会人となり、くたびれて失望して、自分自身にしか興味のない時代に聴いたのであった。20代というこの時期以降は、何か音楽を聴いてとてつもない感動を覚えたことはない。たしかに、いい曲だなという感想は抱くことはあるが、昔、舟木一夫や天地真理を聴いたときのような喜びはない。

それは人の心の感受性が20代の前半で閉じてしまうからではないかと思う。それ以降は心が閉じてしまい、外からの刺激に対して鈍い反応しかできなくなるのではないかと思う。現代の音楽、はやりの若者の音楽などは、自分には???である。自分の子供達がそんな曲を聴いて喜んでいるのを見ると、不可思議な気持ちになる。

あと、歌詞についてもかなりの違いがあるように思う。渡辺真知子の歌は彼女自身の作詞作曲であるようだ。歌のリズムは、もはや5・7調や7・5調ではない。舟木一夫の歌などは「あかいゆうひが(7)、こうしゃをそめて(7)、にれのこかげに(7)、はずむこえ(5)」と7、7、7、5となっている。

天地真理ならば、「あなたをまつの(7)、てにすこうと(6)、こだちのなか(6)のこるしろいあさもや(10)」と、伝統的な7・5調などからは少し離れてきている。

渡辺真知子ならば、「はあばあらいとがあさににかわる(10)、そのときいちわのかもめがとんだ(10)、ひとはどうしてさみしくなると(14)、うみをみつめにくるのでしょうか(14)」という感じで、全く自由に歌っている。(なお、この曲の作詞は渡辺真知子ではない、多くの曲の作詞は渡辺真知子だったのだが、この曲は例外的である)

日本語の世界が、膨大の数の外来語の取り入れ、歌における拗音、促音などの使用で、5・7調や7・5調が難しくなってきているのである。

自分はやはり伝統的な韻律に乗っていない歌詞には違和感を覚える。そんなとこも渡辺真知子の曲に対しては距離を感じるのだろうか。

また、渡辺真知子の歌詞はかなり心理学的に細かい。『迷い道』とか『ブルー』の歌詞は女心を顕微鏡でみて、それを拡大したような内容だ。共感するひともいるだろう。しかし、自分はもう少し、世界に対しての素直な憧れを歌うような曲が好きだ。などと勝手なことを述べる。

この三人の注目度をGoogle 検索で調べる。すると以下のようである。

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3人の名前が過去においてどれくらい検索されたかが分かるのだ。すると天地真理の名前がよく検索されていることがわかる。しかも、このところの数か月前にたくさん検索されてことがわかる。おそらく、例の週刊誌『週刊新潮』の記事が影響しているのだろう。しかし、いまでは、それは落ち着いている。

渡辺真知子の名前では検索された件数はやや少ない。しかし、一定層のコアなファンがいる。それは彼女がいまでも音楽活動を続けているからであろう。その意味で、赤色のグラフは彼女の音楽活動の評価を示していると思われる。

ところが、天地真理は音楽活動以外の彼女自身が意図せぬ視点からの注目を浴びることが多い。その点で、彼女自身も心外であろう。