2016-03-07
このブログであるが、よく読まれている記事は天地真理に関する記事が多い。その意味では、このブログが存在できるのは天地真理のおかげであると感謝したい。
ところで、グーグルで「天地真理」という語で検索をかけると下のグラフのようにヒットする。天地真理が世に強い注目を浴びたのは2004年以降で2回ほどである(2004年以前はグーグルは存在しない)。それはどのような時期であったのか、2010年の後期と2015年の後期の2回である。
2015年の後期は例の『週刊新潮』の記事によるものであろう。週刊新潮の記者が天地真理を訪ねてそのインタビュー記事を元に老後破産と結びつけて、大騒ぎになった事件である。その記事をきっかけに、彼女への関心が再燃して、グーグルでの検索数が増加したのである。
それで、2010年後期の検索数の増加は何が原因が考えてみた。ながらく表立った活動をしていなかった彼女が何かをしたことで、世間の注目を浴びるようになったのだと推測できる。このことについては、1月18日の「天地真理と吉永小百合の注目度の比較」という記事についても触れてある。
この点に関して、Wikipedia には以下のような記述が見える。
2010年10月19日にTBSテレビ番組『解禁!(秘)ストーリー 〜知られざる真実〜』出演で久々の画面登場を果たす(収録日は歌手デビューの記念日10月1日)。出身校である国立音大附校舎の一室で、かつての三人娘の一人である小柳ルミ子と対談し、アイドル時代当時のファンの過熱ぶり、一時休業に至った際の真相、そして今後の決意を語っていた。
この時の天地真理と小柳ルミ子の対談は大きな反響を呼んだ。私自身はこの番組を見なかったのだが、いくつかのブログにその内容が記されている。だが、そのほとんどは天地真理自身が読んだとしたら不愉快に感じるだろう内容である。
天地真理の全盛期は1971年10月の『水色の恋』でデビューしてから、1977年の1月に緊急入院するまでであろう。あるいは、1975年の紅白歌合戦には参加していないから、1971-1974年を全盛期と考えることもできる。この4年間の輝きが素晴らしかったので、現在もファンクラブが存続して、彼女のその当時のYouTubeが頻繁に視聴されるのである。
さて、私の所感としては、「どんな美しいものでも、それは過ぎ去る」ということだ。そして、女性は美貌で評価されることが多い。それゆえに、時の経過は女性に対してよりシビアに効いてくる。男女平等の観点からは不公平という女性もいるだろう。とにかく、自分は女性に生まれなくてよかった、男でよかったと感じるのだ。