2016-06-01

朝日新聞のデジタル版では北海道の小学二年生の男の子の置き去り事件を報じている。

北海道七飯(ななえ)町の山中で5月28日から行方不明になっている北海道北斗市の小学2年生田野岡大和君(7)の捜索は、警察や消防のほか1日朝から陸上自衛隊も加わり再開された。

この事件は、何やらよく分からない事件である。つまり両親が本当のことを告げていないのではないかという疑惑がある。本来ならば、非常に同情すべき事件なのだが、何やら裏の裏がありそうで、捜査に当たっている警察や消防団、自衛隊の方々も首をかしげながら野山を調べていると思う。以下、両親が正直に語っていると仮定しての話であるが。

最新のネットの情報でも未だに見つかったという報道はない。28日からいままでに、すでに5日間経っている。7歳の小学生が生きている可能性は限りなく低くなってきた。小学生も高学年ならば車道に出て、助けを求めるという知恵も働こうが、とにかく7歳では何が何だか分からないであろう。

小学2年生だが、親に置き去りにされたという絶望感はどんなものであろうか。大人でも、私ぐらいの年の人間でも、孤独感で時々は絶望的な気持ちになることもある。ましてや、小学2年生田野岡大和君が味わった絶望感、親から見捨てられた孤独感、何をどうしていいのか分からない悲嘆、想像するだけで恐ろしくなる。

記事の最後の部分であるが、読んでいていやな気持ちになってしまった。

道警によると、両親は5月28日午後5時ごろ、「しつけ」のため、山道で大和君を車から降ろした。大和君が泣きながら車を追いかけてきたため、車に乗せたがしばらくして再び降車させたという。現場から車で去り、5~10分後に戻ったときには大和君の姿がなかったという。

子供への罰はとにかく口頭で叱ることであろう。手を出したり、あるいはこのような物理的な罰は何の効果もない。子供への「しつけ」はどうあるか、各家庭で異なっているのだろうが、自分の場合は、子供へは言葉での叱責だけだった。また、自分の子供たちはそれで十分に分かってくれたのである。

どのような結末を迎えるか全く予期できないが、今まで親御さんで似たような罰を子供に与えてきた人もいるだろう。そのような人々に今回の事件は大いなる教訓、警告になることと思う。

とにかく、はやく男の子が見つかりますように、と多くの人々と一緒に自分は願っている。

photo credit: 160503_2738 via photopin (license)
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